実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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台湾旅行第二日:台北→淡水→八里→淡水→台北

6時起床。まだ感染者の出ていない台湾でも、豚インフルエンザ関連のニュースは大きく報道されている。WHOによってフェーズ5に引き上げられた今朝は、一際深刻さを増したようだ。こちらでは、‘豬流感’という表記も見かけるが、ニュースでは‘H1N1’と呼んでいる。

今回泊まるホテルはすべて朝食つき。本当は外で蛋餅など食べたいが、時間もないのでがまん。老爺商務會館の朝食は当然バイキングで、内容はいまひとつ。宿泊客の顔ぶれは、日本人が多いものの意外とインターナショナル。

今日はまず台鐵の台北車站へ行き、ネットで買っておいた新竹往復分(5/1、5/3分)の切符を受け取り、瑞芳行きの切符と平溪線一日週遊券(5/3分)を購入。それから捷運で市政府まで移動し、台北市信義公民會館へ。ここは、四四南村という眷村の住居4棟が保存されているところ。

四四南村は、青島の四十四兵工廠の工員とその家族が、日本陸軍の施設を新たな兵工廠として、そのまわりに形成した眷村らしい。かなり大規模なコミュニティで、軍需工場を中心に、そこで働く人たちの住居、彼らのための商店、子女のための学校まであったと聞けば、先日観たばかりの『四川のうた』を思い出さずにはいられない。共産党を逃れて台湾までやってきて、中華人民共和国の国営工場と同じようなものを作っていたのかと思うとなかなか感慨深い。

住居は日式家屋ではなくコンクリート造りなので、戦後に建てられたものだろう。背後に台北101が聳え、50年前の風景と、新都心の様相を呈すいまの信義區が同居している(↓上左写真)。建物の間は眷村ならではの狭い路地(↓上右写真)。近くには、碉堡という防空壕みたいなものも残されていた(↓下左写真)。

展示はあまり多くないが、その中に‘眷村文學’というコーナーがあった。代表的な作家は朱天文や朱天心で、たとえば『少年(小畢的故事)』の原作である“小畢的故事”など。取り上げられてはいなかったが、白先勇も一種の眷村文學だろう。眷村文學があれば眷村電影もあるはずで、すぐに思い浮かぶのは『きらめきの季節/美麗時光』。『少年』ももちろんそうだし、『牯嶺街少年殺人事件』もそうだ。まだまだ知らないことだらけだが、台湾映画を観賞するうえで眷村についての理解は必須だろう。


忠孝東路まで戻ると、工事用の塀に囲まれた広大な空き地が見えた。1937年竣工の元・台湾総督府専売局松山煙草工場であり、戦後は1998年まで台湾省菸酒公売局松山菸廠だったところである。『DEATH HOUSE 悪魔の館』に出てくる古い屋敷がここの建物ではないかと思うのだが、忠孝東路に面した部分はすでに更地のようになっており、かなり遠くに古い建物が見えた(↑下右写真)。ここは台北文化體育園區の予定地だが、松山菸廠は市定古蹟なのですべて壊されることはないだろう。すでに壊されたのならもうないし、壊されていないのであればここがオープンしたときにも残っている。そう思って今回は諦めることにした。

ここまでですでにお昼近くになっていたが、捷運で今日のメインの目的地、淡水(台北縣淡水鎮)へ移動。8年ぶりの淡水の主な目的は、昨日に引き続き『Orzボーイズ!』のロケ地めぐりである。空腹をこらえ、まずは騙子一號(李冠毅/リー・グァンイー)の家を探す。淡水捷運站にほど近い、觀音山(↓左写真)が正面に見える水上家屋(↓右写真)だった。うしろに見える煉瓦造りの建物は原英商嘉士洋行倉庫(殼牌倉庫)で、こちらも見たかったが、リストア中で近づくことはできなかった。

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次は八里(台北縣八里郷)へ渡る。お洒落になったといわれる淡水だが、捷運站から渡船頭へ向かう淡水河沿いの道は、あいかわらず観光客向けの店が並ぶ。渡輪も便利になって、悠遊卡で乗れるようになっていた。淡水河は本日天気晴朗なれども波高し。船は激しく揺れ、時おり横から高波がざぶーんとやってきてはわたしたちを頭から呑みこみ、命からがら八里に着く。八里に来た目的は三つ。ひとつめは、渡船頭のすぐ前、余家孔雀蛤大王での昼ごはん。

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ふたつめは八仙水上樂園(↓左写真)。『Orzボーイズ!』の最後に出てくる、ウォータースライダーがあるところ。八仙海岸というテーマパークの一部で、渡船頭からは少し離れているのでバスで行く。直通バスではなかったので、近くのバス停からてくてく歩いてたどり着くと、まだシーズンではないらしく八仙水上樂園は閉まっていた。泳ぐ気はないので水着も持ってきていないし、ウォータースライダーで異次元に行きたくもないし、なにより入場料が620元もするので、もともと入る気はなかったのだけれど。人がいないので心置きなく覗けたが、問題のウォータースライダーはちょこっと見えたか見えないかという感じ。満足と徒労感の入り混じった複雑な気持ちで帰りのバスに乗る。J先生が「八里まで」と言うと、運転手さんに「ここが八里だ」と言われる。

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三つめの目的は、行列のできている姊妹雙胞胎。雙胞胎は、パン系の四角いドーナツがふたつくっついたもの(↑右写真)。外がカリカリで素朴にうまい。渡船頭前のミニ江ノ島的風情はあまり変わっていないが、その西側は公園として整備され、八里左岸と呼ばれている(このネーミングはいかがなものか)。新しい碼頭もできていて、今度はこちらから乗ってみる。「潮の都合で休航中」という貼り紙があったにもかかわらず、なにごともないかのように出航。こちらの船はちゃんと窓があり、波に呑まれることもなくすぐに淡水に到着した。

ふたたびの淡水では、『言えない秘密』の舞台、淡江藝術學院のロケ地となった私立淡江高級中學(↓左写真)へ。まずは尋根園(↓右写真)というカフェでお茶。「授業の一環で、ウェイトレスは女子高生」と書いてあるのをどこかで見たが、行ってみたらおばさんだった。ここは、女宣教士紱明利姑娘(Miss Isabel Taylor)の宿舍だったところだそうで、そんなに古い建物ではないが、なかなか居心地のいいカフェである。


カフェを出て、ロケ地探索を開始。まず、教員宿舎らしきものが周杰倫(ジェイ・チョウ)、黄秋生(アンソニー・ウォン)父子の家であるのを発見。

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それから、これを見なければはじまらない淡江高中のシンボル、八角塔へ。ここは『言えない秘密』の前に『ファースト・デート 夏草の少女』のロケ地になったし、ほかにもいろんな映画、ドラマ、MVに使われているはず。ほかに大禮拜堂、高中大樓なども回る。八里をうろうろしたり、カフェで和んだりしているあいだに放課後になってしまったので、いたるところに生徒がうじゃうじゃいて活動しにくい。

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淡江高中は1914年創立の旧・淡水中學。淡水中學のものをはじめ、敷地内は近代建築の宝庫であり、國家三級古蹟に指定されている。『牯嶺街少年殺人事件』のロケ地でもある1923年竣工の體育館(↓左写真)や、女學校大樓(↓右写真)などを見る。女學校大樓は、呉威廉(William Gauld)設計、1916年竣工の旧・淡水女學校本館。今は淡江高中附設の純紱小學になっているようだ。前にも見ているお気に入りの建物である。


続いておとなりの真理大學へ。基督長老教會系の大学だが、『ダブル・ビジョン』にも出てくる巨大な大禮拝堂が周囲を圧迫し、なんだかお金持ちの匂いがする。

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『言えない秘密』の淡江藝術學院は、ここ真理大學でも撮影されている。なかでもこの映画の主役である、最後に取り壊される赤煉瓦の古い校舎は、現在は真理大學紅樓と呼ばれている旧・淡水牧師樓だと思う。しかしここは非公開らしく、見ることができなかった。淡江藝術學院の運動場もここで、こちらは桂綸鎂(グイ・ルンメイ)や周杰倫や黄秋生が座っていたところを見つけることができた。

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すっかり暗くなってしまったが、淡水河畔でも『言えない秘密』のロケ地をいくつかチェック。このあたりの日式家屋も減ってきたようだが、『言えない秘密』で塀がちょっとだけ写る『少年』の家はまだ健在のようだ。渡船頭より西の淡水河畔にはおしゃれなカフェやレストランが点在し、オープンテラスで楽しそうに食事をする人々が見えた。今日は平日なのにたくさんの観光客が来ていたが、意外に日本人には出会わない。

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夕食は英專路夜市へ行く。行ってみたら夜市としての賑わいはいまひとつでがっかりしたが、沙茶羊肉の店で晩ごはんを食べる。ちょっと物足りないので、近くの淡水滬尾豆花店で豆花も食べる。食べ終わるころにテレビの取材が来たので、“從日本來的”とか言おうとしたら(ウソ)、J先生がとっとと出てしまったのでテレビに映りそこねた。

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捷運で中山に戻り、21時半ごろホテルに帰着。今日の歩数は31721歩で、どうにか目標クリア。最後は暗くなってしまって惜しかったが、計画達成率は90%くらいとけっこうがんばった。蝦捲、魚丸湯、阿給が食べられなかったこと、「冰琪淋で乾杯」ができなかったことが心残り。