実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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台湾旅行第四日:新竹→竹東→内灣→新竹

予定がつまっているので5時半起床。新竹でもまだ行くところが残っているのに、今日は竹東(新竹縣竹東鎮)にも内灣(新竹縣横山郷)にも行かなければならない。新竹福華大飯店は朝食が6時半開始なのがすばらしいが、五つ星でもバイキングなのはがっかりだ。しかしさすがは高級ホテルという内容で、あれもこれもと意地きたなく迷う。


中正路附近の近代建築をチェックしながら南下して、新竹車站の南へ行く。新竹市政府(↑左写真)は、1927年竣工の旧・新竹州廳(國定古蹟)。新竹消防博物館は、1937年竣工の旧・新竹消防署。台灣菸酒公司新竹營業所(↑右写真)は、梅澤捨次郎設計、1936年竣工の旧・新竹專賣局(市定古蹟)。前回は実物大写真だった新竹市政府は、リストアされてすっかりきれいになった。


駅南の目的地はふたつ。ひとつめは、『九月に降る風』の阿彥(鳳小岳/リディアン・ヴォーン)の家である日新體育用品社(↑左写真)。残念ながらまだ閉まっていて、店内の様子まではわからない。「1時開店」という紙が貼られていて、曾志偉(エリック・ツァン)怠けすぎ。駅の南に来るのははじめてだが、北側とはかなり雰囲気が違い、人が住んでいるんだかいないんだかよくわからない日式家屋がたくさん残っている(↑右写真)。地図から推測すると、台鐵の宿舎かもしれない。

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新竹公園を抜けてさらに南下。新竹公園は1916年に造られた公園で、入口近くにある新竹市立玻璃工藝博物館(↑左写真)は1936年竣工の旧・自治會館。動物園と孔廟と體育館が同居しているヘンな公園で、林の中からは狛犬と馬の群れが現れ(↑右写真)、中高年グループのカラオケ朝食会は大盛況である。

ふたつめの目的地は、やはり『九月に降る風』のロケ地の國立新竹高級中學。『九月に降る風』の舞台は竹東鎮の國立竹東高級中學だが、新竹高中でも撮影されている。竹東高中の名前は制服の刺繍などで隠さず出ているが、実際の竹東高中というよりは、架空の「新竹市内にある竹東高中という学校」と考えたほうがいいと思う。念頭に置かれているのはおそらく新竹高中であり、つまり「新竹高中の場所にあり、新竹高中の位置づけにある竹東高中という学校」である。


新竹高中(↑左写真)には問題なく入ることができた。李遠哲の出身校らしく、ノーベル賞受賞記念のぱっとしない碑が建っている。この学校の前身は1922年創立の新竹州立新竹中學校で、現在は校史館(↑右写真)となっている建物など、古い校舎も僅かながら残っている。


『九月に降る風』のロケ地は游泳池(プール)(↑左写真)と體育館(↑右写真)。7人の少年たちが夜のプールに忍び込んではしゃぐシーン(いわゆる全裸シーン)が、まるごと新竹高中で撮影されている。このふたつは校門近くに並んで建っていたが、残念ながら閉まっていて中には入れない。おじさんたちが外からプールを覗くシーンがあったので、同じように覗いてみると臨場感が高まった。

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駅前の新竹客運中華站に戻り、11:05のバスで竹東へ向かう。内灣線の新竹-竹東間が工事で運休しているため代行運転をしているバスで、土曜日の今日は内灣線に乗りに行く人たちで長蛇の列である。少し早めに行ったおかげで、なんとか席は確保できた。高速を使ってほぼノンストップで走り、20分ほどで竹東車站に到着。内灣線接続用のバスなのに、なぜか内灣線の発車まで30分以上あるという不思議な時間設定。せっかくだから竹東でもお金を落とせということなのか? わたしたちは竹東が第一目的地なので、次の次の内灣線に乗ることにして任務を開始する。


竹東の目的地はふたつ。ひとつめの國立竹東高級中學をめざして歩いていると朝市に遭遇したので、西瓜汁を飲んで生き返る。竹東高中では、ちょうど創立63周年記念の園遊会をやっていた(↑写真)。簡単に入れるのはいいが、校庭に模擬店が並んでいて校舎が見えないし、人がうじゃうじゃいて資料を広げられない。それでもなんとか『九月に降る風』に出てくる校庭や校舎を確認。映画のなかでいちばん印象深いのは屋上だが、さすがに校舎内にずかずか入って屋上まで行くわけにもいかないので未確認。時間の制約や、若い子ばかりで圧倒されたせいで、廊下など外から確認できるはずのところもいくつか見逃した。

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園遊会は、映画にも出てきた校庭のお立ち台(‘司令台’というらしい)をステージに、歌などの出し物が披露されていたが、熱心に見ている観客はあまりいない。模擬店もたくさんあるが、一生懸命呼び込みをしているふうでもない。人だけは多いが、みんな何をしているわけでもなくて、なんだかゆるい雰囲気。制服が、映画で見たとおりのストライプのシャツやブラウスなのと、女の子もパンツ(というよりズボン)なのを確認した。駅のほうへ戻る途中、日式家屋などが並ぶいい感じのところを通る(↑写真)。東林新村というところで、眷村かもしれない。


ふたつめの目的地は、やはり『九月に降る風』のロケ地で、少年たちがいつも集まってぶらぶらしていた大きな木のある広場。ここは駅のすぐ近くの東林路194巷で、すぐ脇を内灣線が走っている。あっさり見つかったのはうれしいが、すっかり無料駐車場と化していた(↑左写真)。『童年往事 時の流れ』のあの広場を思わせるここは、『九月に降る風』に出てくる場所のなかでもいちばん印象深く、いちばん行ってみたい場所だった。スタイル的には特定の映画や監督の影響をあまり感じないが、印象的な舞台が、広場=『童年往事 時の流れ』、屋上=『花蓮の夏』、プール=『藍色夏恋』と、いずれも大好きな台湾映画を連想させる。

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映画でも木造家屋が映っているが、ここも眷村の跡かなにかだと思われ、日式家屋らしき廃墟が並ぶ。空き家になって久しく、ドアや窓がなくなってしまい、貼られているポスターなどがあらわになっているのがもの悲しい(↑右写真)。再開発しないで放置しておくのなら、(眷村かどうかわからないけれども)こういうところを眷村博物館にしたらいいのにと思う。


任務を終えて駅に戻ると、夥しい数の人が改札を待っていた。新竹からのバスで来た人がみんな乗るだろうくらいの認識だったが、連絡バス以外にもバスがあるうえに観光バスまで来ている。駅のトイレはこの事態に対応しておらず、ひとつしかないままなので長蛇の列。やっと次というところまで並んだのに、改札が始まってタイムアウト。改札に並び、ホームに並び、なんとか座席を確保した。ホームの向こうには渋い倉庫が並び(↑左写真)、竹東はまだまだ探検するところがありそうな町だ。

列車はどんどん混みあい、さらにツアーの中高年たちが乗り込む。内灣までは25分ほどだが、新しい派手な車両に通勤電車なみの混雑では、鄙びたローカル線の風情などどこにもない。車窓の景色もあまり見られず、座っていてもどっと疲れた。「観光地になって人があふれている内灣」を見に来たものの、着く前にもううんざり。内灣に到着すると、ホームは降りた客と乗る客でごった返し、ゆっくり写真を撮るどころではない(↑右写真)。

内灣は約10年ぶりの三度め。駅前通りには店がいくつかあるが、やっているのかいないのかわからない雰囲気で、人通りはほとんどなく、内灣車站から内灣戲院までは少し距離があり、内灣戲院の前はがらんとした広場である…。これがわたしの記憶にある内灣。ところが現在の内灣はといえば、駅前通りは両側にずらりとお店が並び、ここは九份か小町通りかと思いながら駅から続く人波について歩けばもう内灣戲院で、その前は人がごった返してやけに狭苦しい。

久しぶりの内灣なので、『川の流れに草は青々』や『チョウ・ユンファの地下情 追いつめられた殺意』のロケ地を全部まわりたいが、とても時間が足りないので、絶対に行くところをふたつだけ決めた。ひとつは、『川の流れに草は青々』で鍾鎭濤(ケニー・ビー)が下宿していた内灣戲院。いまは内灣戲院人文客家菜館というレストランになっているので、ここで昼ごはんを食べるつもり。もうひとつは、やはり『川の流れに草は青々』に出てくる九芎坪隧道。冒頭で列車が出てきて、ラストで列車が入っていくトンネルである。


まずは内灣戲院人文客家菜館(↑左写真)で昼ごはん。1943年竣工の内灣戲院は、ロケ地でなくとも風情のある建物。中もあまり手が加えられておらず、映画館の雰囲気を残している。『川の流れに草は青々』で阿Bが踊っていたステージもそのままだ。スクリーンでは『少年』(DVD)を上映していた。若き日の鈕承澤(ニウ・チェンザー)。

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続いて九芎坪隧道へ向かう。J先生が「遠いからイヤだ」と言うので前回は行かなかったから、今回はどうしても行きたかった。内灣橋を過ぎるあたりからは人波も途切れ、13年前の訪問時とあまり変わらないのどかな内灣を満喫する。しかし、九芎坪隧道の近くには温泉もでき、車で来る観光客も目につく。『川の流れに草は青々』を観たとき、子供たちにとってはトンネルが町の始まりであり、終わりでもあるのだと思った。これは実際にそういうものらしく、トンネルの手前に内灣牌樓なるものができていた(↑右写真)。しかし「横山鄉内灣魅力商圏」と書いてあるのを見ると、複雑な気持ちになる。


九芎坪隧道は、延長補強されて入口が四角くなり、風情がなくなっていた(↑写真)。子供たちが走った内灣車站から九芎坪隧道までの道も、人や車が増え、途中の線路に明隧道ができ、のどかな田舎の雰囲気は薄れてしまったが、それほど大きく変わってはいない。

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内灣を流れる油羅溪とこれに架かる内灣吊橋は、『川の流れに草は青々』にも『地下情』にも出てきた。この川には九芎坪隧道のすぐ近くにもうひとつ、攀龍吊橋という吊り橋がある(↑左写真)。内灣吊橋よりも狭く、秘境っぽい雰囲気に惹かれて来てみたが、時間がないので渡るのは断念した。と言いたいところだが、ほんとうはかなり怖そうなので断念した。町に戻ろうと線路沿いを歩いていると、ちょうど内灣線の列車がやって来て(↑右写真)、トンネルに消えていった。

ふたたび人通りの多い中正路に戻り、『地下情』のロケ地をチェック。『地下情』の内灣も、人気のないがらんとした感じが印象に残っているが、いまの中正路にはそんな雰囲気は全くない。それでも、脇道に入ればそれほど変わっていないようだ。

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最後に、日據時代からの派出所だという内灣派出所も見たかったが時間がない、と思ったら駅から見えた。トイレに並んで、改札に並んで、ホームに並んで…というので遊べる時間は30分も短くなる。16:30の列車は遅れて来たので、改札から列車に直行。行きほど混雑しておらず、今度も座れた。竹東でバスに乗り換え、18時前に新竹に帰着。内灣は、単にローカル線の終点というだけで、中華バロックのみごとな老街が残っているわけでもなく、金鉱や炭鉱の跡があるわけでもなく、これといった名物があるわけでもなく、観光資源に乏しい。なぜこんなに賑わっているのか、正直よくわからない。

新竹に戻っての最後の任務は、中心部の東側にある三民公園。途中、前を通った國立新竹女子高級中學は、『九月に降る風』に直接は出てこないが、謝孟倫はここの生徒だったはず。新竹女中の前身は、1924年創立の新竹州立新竹高等女學校。古い建物も少し残っているようだ。


三民公園は中央路が自由路にぶつかるところにあり、阿彥を乗せた小湯(張捷/チャン・チエ)のバイクが転倒するのがちょうど三民公園の前。阿彥が小芸(初家晴/ジェニファー・チュウ)に電話をかけようとした電話ボックス(↑左写真)も見つける。これで今回の『九月に降る風』ロケ地めぐりはおしまい。まだ映画を観ていないJ先生にはちょいと申し訳なかったが、これだけ見ておくと8月の公開時にはかなり楽しめると思う。いまは謝っておいて、あとで感謝してもらうことにしよう。ちなみに、この三民公園前と新竹高中と十七公里海岸風景區のロケ地は、[從 Google Map 空照圖看九降風]というブログ記事(LINK)で教えていただいた。この場を借りてお礼を言いたい。非常感謝。

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三民路の緑地帯を通って中心部方面へ戻る。福源花生醬で花生醬とおせんべいを買い、新竹都城隍廟の阿富魯肉飯で晩ごはんを食べ、有一家綿綿冰で草苺綿綿冰(↑右写真)を食べる。今日も台灣啤酒を買って、20時半ごろホテルに帰った。今日の歩数は33137歩。遠出をしたわりにはまあまあ歩いた。

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