実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『台北に舞う雪(台北飄雪)』(霍建起)[C2009-13]

二本めは、コンペティションの『台北に舞う雪』。霍建起(フォ・ジェンチイ)監督の映画は『ションヤンの酒家(生活秀)』[C2002-38]だけ観て、ほかの映画を観る必要性は感じなかったが、楊祐寧(トニー・ヤン)目当てで観た。たいした映画ではないだろうとは思っていたが、これほどひどいとは思わなかった。こんなものをコンペに選んで、東京国際映画祭はほんとうに恥ずかしい。

まず、ストーリーが陳腐である。別にだからいけないというわけではない。陳腐なストーリーを極上の映画にするのが監督の仕事である。しかしいくらなんでもこれはひどすぎる。途中までは、ここまではひどいけれどこのあとうまく雪を絡めてくるのだろうと思って観ていた。ところが…、その雪があれである。これはもう、とんでも映画の部類である。

そもそも、童瑤(トン・ヤオ)が大陸(青島)から来た女性であるということが、ストーリーにほとんど絡んでいない。「中台合作だから、ヒロインは中国から出しましょう。ついでに映画の中でも中国から来たことにしましょう」といった安易な発想が透けて見える。だいたいなんでわざわざ霍建起を台湾に呼んで(あるいは霍建起が台湾におしかけて)こんな映画を撮らなければならないのか、企画意図がさっぱりわからない。

その童瑤にまったく魅力が感じられないのも致命的である。多くの人が彼女が章子怡(チャン・ツィイー)に似ていると書いているが、わたしはぜんぜん似ているとは思わない。章子怡の顔のいちばん特徴的な部分が童瑤にはないので。もっとも、『アザー・ハーフ(另一半)』[C2006-24]の中で章子怡に似ていると言われる女性よりは似ていると思うが。イケメンの男性陣、陳柏霖(チェン・ボーリン)、楊祐寧、莫子儀(モー・ズーイー)もいまひとつ。主役をはれる俳優を三人並べても、無駄に豪華という気もする。だいたい登場人物すべてにリアリティがなく、映画に出ていないときには何をしているのかよくわからない。

菁桐ロケだというのが楽しみのひとつだったが、正確には、菁桐が舞台で、少なくとも菁桐と平溪で撮影されている。しかしこれがまたひどい。ぜんぜんじっくりと映し出されないので菁桐の魅力が伝わらないし、そもそも観光地化されて以後の醜悪な部分ばかり映っている。天燈も出てくるけれどもちっとも美しくない。ちなみに、陳柏霖が童瑤に泊まるところを世話するシーンで、多くの台流ファンのみなさんは北海道民宿(太郎の家)に連れて行くことを期待されたと思うが、そのようなサービスも一切なし。

この映画で唯一いいのは音楽。といっても、ほとんどのシーンにうるさくついているセンチメンタルな音楽は不要。よかったのは、歌手という想定の童瑤の歌う歌が陳綺貞(チアー・チェン)だったこと。ただし、陳綺貞という選択自体がすばらしいのであって、童瑤のイメージにはあまり合っていなかったし、駆け出しの新人歌手の歌として使うのはもったいなさすぎる。挿入歌に使われていた孟庭葦(モン・ティンウェイ)の“冬季到台北来看雨”もよかったが、使われ方は最悪。

この映画を観て、連想される映画が二本ある。ひとつは『五月の恋(五月之戀)』[C2004-V]。陳柏霖、中国女優、中台合作、雪…ということで、おそらく誰もが連想するし、今回の企画において念頭にあったことは間違いないと思う。しかし、『五月の恋』には中台間の離散家族の問題がしっかり描かれ、「五月の雪」は美しく、いろいろなモチーフはしっかり絡み合っていた。『台北に舞う雪』が『五月の恋』の二番煎じだとしたら、その質の違いはあまりにも大きい。

もうひとつは『午後3時の初恋(沉睡的青春)』[C2007-35]。菁桐が舞台で、主人公は母親が自分を捨てて出て行ったという過去をもち、町をほとんど出ないで暮らしている、というところまで同じ。『午後3時の初恋』は菁桐の観光地化された部分を周到に避けて撮られている。『台北に舞う雪』は想定上、観光地であることが必要だったとは思うが、比較するとあらためて『午後3時の初恋』のロケ地選びのすばらしさがわかる。

ちなみにこれはパンダ映画に認定された。楊祐寧が見ているモニタに、パンダのアニメだかイラストだかが映っていた。

予定にはなかったが、上映後にQ&Aがあるとのことで、どうしようもない映画でもナマ楊祐寧を見るためならば…と思ったら、監督だけのようだったのでパスして帰る。