実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『武蔵野夫人』(大岡昇平)[B1338]

『武蔵野夫人』読了。

武蔵野夫人 (1953年) (新潮文庫〈第535〉)

武蔵野夫人 (1953年) (新潮文庫〈第535〉)

映画化された溝口健二の『武蔵野夫人』[C1951-05]は、最初『乱れ雲[C1967-04]みたいなのを期待して観てがっかりして、そのあともう一度観てやはりがっかりした記憶がある。最近またシネマヴェーラ渋谷で上映され、感想をいくつか目にして、「そういえば原作は読んでないな」と気づいて読んでみることにした。

その結果、『乱れ雲』みたいなのを期待するような小説ではないことがわかった。あまり恋愛小説という感じもしない。ラディゲ風の心理小説ということだが、登場人物が思ったことや行動の動機がぜーんぶ書いてあるので、あんまりおもしろくない。

映画版はよく憶えていないけれど、何ががっかりかといえばまず配役である。29歳の美しい従姉のおねえさま、道子が田中絹代。胴が長くてスタイルが悪いとか、保守的で古風だとかいった点は、たしかに田中絹代にぴったりだ。しかし彼女は、当時40歳を過ぎている。あり得ない。それじゃあだれがいいのかと思いながら読んだが、なかなかこれという女優が思い浮かばない。

ところが終盤、道子がかなり唐突に自殺を決意をするところに来て、突然ぴったりの女優がひらめいた。芦川いづみである(ちなみに、29歳のときに作るとすれば1964年である)。田中絹代に「道徳」だの「誓い」だのと言われると、「またかよ」といううざった感がある。それにくらべていづみさまだと、「よぉ、待ってました」という期待感がある。自殺を決めたあとのイっちゃった目が見えるようだ。もう彼女しかいない。でも正攻法でいくなら、新珠三千代なんかもいいかもしれない。

道子の夫の秋山は、どんなだったか憶えていないが、映画では森雅之。いったん嫌悪感を抱いてしまうと、ヤなやつと切り捨ててしまいたくなるが、森雅之だと思って読むと、小心なところや滑稽なところなど、いちいち味わって読むことができた。