バンガロールに来ちゃったの

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『夏目漱石の三四郎』(中川信夫)(DVD-R)[C1955-09]

三回に分けて、二日がかりで『夏目漱石三四郎』を観る。おやつは、キルフェボンのマンゴープリンのタルトと黒豆のタルト→レ・シューのにしかまプリン→豊島屋(LINK)の栗板と変遷。

夏目漱石は好きな作家であり、『三四郎』はとりわけ好きな小説である。何度も読んでいるし、自分なりのイメージもできている。だから以前この映画を並木座で観たときは、かなりがっかりした。原作のイメージとかなり違っていたからだが、具体的に何にどうがっかりしたのかは全然憶えていない。それが今回スカパーで放送されたので、録画して久しぶりに観てみた。結論をいうと、思っていたほど悪くなかった。原作に何が書かれていたかなど忘れて別物として観ればけっこうよい。また観たいと思ったし、ぜひスクリーンでもう一度観て、映像を堪能したい。

しかし、今回はまだ原作を忘れて観ることはできなかったので、いろいろなところにかなり違和感を感じた。一番の違和感は、八千草薫の美禰子である。私の美禰子のイメージは、モダンでハイカラで、凛としたところのある女性である。それでいて謎めいた、ちょっと不思議ちゃん入ってるような感じもある(でないと、突然「ストレイシープ」などと言ってもサマにならないでしょう)。八千草薫って、日本的で常識的で、美禰子のイメージの対極にある。ファム・ファタル的なところもない。第一、顔がチマチマしていていけない。あのくらいなら熊本にもいるだろう。八千草薫が好みのタイプかどうかが、この映画の評価を大きく左右するに違いない。

笠智衆の広田先生もかなり変だ。逆に最もイメージどおりなのは、岩崎加根子のよし子である。『宮本武蔵 一乗寺の決斗』の10年近くも前だが、顔の扁平さが妙に目立っていて、それがよし子のイメージにぴったり。

ほかに違和感を感じたのは、特に女性の台詞まわし。小説そのままの台詞がかなり使われていたが、時代的なところと文学的なところが全然自分のものになっていないというか、こなれていなくて棒読みっぽくて、聞いていてムズムズした。この映画は、三四郎と美禰子を中心に据え、恋愛を中心に描いているが、それ自体は1時間半の映画にまとめるうえでは悪くない。そのためにストーリーをわかりやすくして、原作にはない場面や、幾分説明的な台詞を入れているのも、基本的にはやむを得ないと思う。でも原作を何度も読んでいると、これは原作のままの台詞だとか、これは原作にはない台詞だとかが全部わかってしまう。そうすると、なんだかちぐはぐに感じられ、どうも気になってしかたがなかった。