実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『カイロ中央駅(Bab al-Hadid)』(Youssef Chahine)[C1958-30]

東京国際映画祭は昨日から始まっているが、わたしの参加は今日から。今回観る予定のプログラムはすべて六本木での上映なので、ドゥ・マゴでは逢えそうにない。大きいほうのセガフレードも、ひげちょうるうろうはんもなくなってしまったので、セガフレードでもひげちょうでも逢えそうにない。ひどい。エスプレッソ・アメリカーノというのができるらしいが、これがイヤミのように10/27オープン。

今日は一日中六本木ヒルズ。1本めは許鞍華(アン・ホイ)監督の『生きていく日々』が観たかったが、チケットが取れなかった。12時まで起きていたくないので、当日券を取るという選択肢もない。すかさず裏番組の『カイロ中央駅』をおさえた。少し前に亡くなったユーセフ・シャヒーン監督の初期の代表作とのことで、おそらく追悼上映的な意味あいで上映されるもの。アジアの風での上映だが、とりあえずエジプトはアジアじゃないよね。中近東は、アジアとアフリカに分けるよりまとめてアジアに含めたほうが自然だと思うので、別に文句はないのだが。

ユーセフ・シャヒーンの名前は、はづかしながら『それぞれのシネマ』[C2007-13]で初めて知ったので、作品を観るのはこれがはじめて。エジプト映画を観るのもこれがはじめて。

映画は、ユーセフ・シャヒーンが演じる足の不自由な新聞売りの青年キナーウィと、婚約者がいる違法ジュース売りの女ハンヌーマを中心に、カイロ中央駅の一日を描いたもの。結婚のため故郷へ帰ることになったハンヌーマに結婚を申し込み、拒絶が殺意に変わって彼女を殺そうとするというキナーウィの動きに、駅の労働者の悲惨な労働環境とハンヌーマの婚約者が中心になって活動している労働組合を作るための運動、男性がどこかへ旅立つ(ヨーロッパに留学でもするのだろうか?)ため、今日この駅で別れることになっている恋人たちの話を絡めつつ進んでいく。
キナーウィの人となりは、抑圧された性欲だとか、足が悪いことに対する引け目だとか、短絡的で直情型の性格だとかによって適切に説明されている。しかしながら、かなり妄想で生きているところとか、もうひとつ説得力がないというか、あまり彼に同情的な気持ちを抱けないところが惜しい。やたらとわめき散らすハンヌーマにも、ちょっと辟易した。

コントラストの強いモノクロ映像は、大きな駅の雑踏や喧騒、カイロの暑さをよく伝えていたと思う。

バリ カフェ プトゥリで昼ごはん。インドネシアといえばの牛肉の炒め物だが、あまり辛くなかったのが残念。