実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『トルパン(Tulpan)』(Sergey Dvortsevoy)[C2008-03]

2本めはセルゲイ・ドヴォルツェヴォイ監督の『トルパン』。今回唯一のコンペティション作品。

映画の舞台はカザフスタンの草原。羊飼いの夫とユルトで暮らしている姉を頼ってロシアからやってきた青年アサの、ひとことでいえば成長物語である。妻帯者でないと羊を所有できないと言われ、その近辺で唯一の年頃の女性、トルパンの家に結婚の申し込みに行くが、「耳の大きい男やイヤ」と断られる。しかし彼は、顔も見たことがない彼女を諦められない…という話。

このアサは、見た目はまあ悪くないのだが、どこかずれていてちょっとヘン。結婚の申し込みの席で、海軍での兵役で体験したタコとの遭遇話を延々とする。お姉さんが「耳はそんなに大きくない。ヘンな話をしたんでしょ」と繰り返し言うのが、さすがに弟のことをよくわかっていて説得力がある。「耳が大きい」というのは単なる口実のようだが、原因は話ではなくて、彼が無職だからということらしい。進学したいとか思っているらしいトルパン自身も乗り気ではないのかもしれないが、率先して断っているのは母親である。

嫁が見つからない彼はとりあえず義兄の羊飼いの仕事を手伝うが、役立たずなので疎まれる。それで家出しようとしたところ、羊の出産場面に出会う。これまで死産が続いていたのに、ひとりで無事に出産させられたことで自信がつき、ふたたびトルパンにプロポーズに行く。それで両親にも認められ、実は憎からず思っていたトルパンと結ばれる、というのがふつうの映画。ところがこの映画では、そのようなお約束の展開は裏切られる。彼が扉越しに口説いていたのは、実はトルパンではなく羊だった、というのが笑える。

彼がこれほどトルパンに執着するのは、それがチューリップを意味する名前だからである。しかしそれはふつうの日本の観客にはわからないのだから、当然字幕で知らせるべきなのに、ティーチインで監督から聞かされてはじめて知ることになった。「トルパンなんて変わった名前だよね」みたいな台詞があったはずなので、「トルパン(チューリップ)なんて変わった名前だよね」とするとか、もうちょっと考えてください。

「都会人がなくした素朴な暮らしと癒される自然」みたいな、最近ありがちなやわな映画ではなく、強力な砂嵐とか栄養失調で死ぬ羊とか、過酷な暮らしが描かれていてよかった。風の音とともに、お姉さんや女の子が歌う歌が映画を彩っている。パワフルに絶叫する女の子の歌より、柔らかなお姉さんの歌のほうがよかった。

長回しが多いけれど、そのわりにカメラは近い。長回しは好きだが、羊の出産を延々と見せられるのは辛かった。

上映後、セルゲイ・ドヴォルツェヴォイ監督、主人公を演じたアスハット・クチンチレコフ、お姉さんを演じたサマル・エスリャーモヴァによるティーチ・インがあった。それによれば、アサはカザフ系ロシア人で、兵役でロシア軍に入って除隊になったという設定らしい。とするとお姉さんももとはロシアにいたはずだが、なんでまたあんなところで暮らしているのだろう。義兄も「羊飼いを5年やっている」と言っていたので、ロシアかどこかで働いていてお姉さんと知り合って結婚して、何かの機会に故郷に戻って羊飼いになった、ということだろうか。

そのほかは、サマル・エスリャーモヴァはプロの俳優だが、アスハット・クチンチレコフは監督の勉強をしている学生だったとか、現地の人と同じような暮らしをしながら撮ったとか、製作に4年かかったとか、歌われている歌は特別に用意したものではなく、生活の中で歌われている歌だとかそんな内容。監督はこれが最初の長編でまだ若いからか、かなり気負った抽象的な発言が目立った。