実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『燃え上がる木の記憶(Kumbukumbu Za Mti Uunguao)』(王安明)[C2010-05]

今年の東京国際映画祭1本めは、シネマート六本木で王安明(シャーマン・オン)監督の『燃え上がる木の記憶』(TIFF紹介ページ)。アジアの風・アジア中東パノラマ。タンザニアの首都ダルエスサラームが舞台の、タンザニア人が出てくる映画だが、監督はマレーシア華人ロッテルダム映画祭の企画で、アフリカをはじめて訪れて撮ったものらしい。

アフリカは、北部のアラブ圏以外あまり興味がないけれど、ディディエ・シュストラックの『ザンジバル』という曲がけっこう好きで、タンザニアはそのザンジバルがあるところなので少し興味があった。イスラム圏だということぐらいしか知らなかったけれど、監督もたぶんいろいろ知らずに行って、はじめて見た目で撮っていると思うので、観るほうも気が楽だ。

カメラがほとんど動かないわたし好みの映画で、とにかく画が美しかった(HDCAMなのに)。といっても、格別美しい風景が映っているわけではない。食堂にしても広場にしても墓地にしてもひたすら殺風景。なのにどことなく味わいがある。木や草がいつも風に揺れているのもいい。

風景以上に美しいのは人だ。まず、人物の配置、構図がかっこいい。出ている人は素人のようだし、特別美形ではないけれど、みな実にいい顔をしている。また、そのかもし出す雰囲気やたたずまいがすばらしい。最近の映画では、一生懸命演技している美男美女の俳優がアップに耐えないと感じることが多いのに、素人でこのすばらしさはなんなんだと思う(アップではないけれど)。

いちおうのストーリーは、学校を卒業したばかりの青年が母親のお墓を探すというものだが、結局見つからないし、ストーリーはほとんどないに等しい。背景にたまたま映っているように見えた人がどんどん物語に入ってくるのがユニークで、彼らの語る断片の積み重ねによって、なんとなく今のタンザニアが見えてくるという感じ。不景気であまり仕事がないとか、キリスト教イスラム教があるとか、それにシャーマニズムみたいなものも絡んで、近代化の過程でちょっと混沌としている感じとか。

マレーシアはいちばん最後に、ラジオからマレーシアの曲が流れるという形でちょっとだけ登場する。ただ、そう思って観ているせいかもしれないけれど、ダルエスサラームの殺風景さがクアラルンプールの殺風景さを思い出させ、全篇にマレーシアの空気が流れているように感じる。しかし中華色は全くなかった、残念ながら。

上映後のQ&Aは、聞きたかったけれど次の映画の時間が迫っていたのでパス。概要は公式サイトで紹介されている(LINK)。また、監督のインタビューはこちら(LINK)。