2本めはマレーシア映画で、劉城達監督の『ポケットの花』(公式ブログ)。劉城達と書いてLiew Seng Tatと読むようだが、姓は北京語っぽく名は広東語っぽいので何語かよくわからない。東京国際映画祭が発表しているカタカナ表記はリュウ・センタックだが、この名前部分はどう考えてもおかしい。センタッと書くのがふつうだと思うが、最後のtも表すならセンタットだろう。いったいどこから「ク」が出てくるのか?
『ポケットの花』は、製作総指揮が陳翠梅(タン・チュイムイ)監督で、主演が李添興(ジェームス・リー)監督というマレーシア華人おともだち映画。李添興が主演と聞いて、「だいじょうぶかー?」と内心不安に思っていたところ、これがとんでもない快演。もう最高でした。
親が子供の面倒をあまりみていない華人の父子家庭を描いた映画。というと『私のマジック』[C2008-04]が連想されるが、父親はあれほど子供をほったらかしにはしておらず、子供たちはあれほどしっかりしておらず、映画全体にはもっとユーモアがあふれている。
父親の阿水(李添興)は、マネキンにリアリティを追求するマネキン工房の経営者兼職人。左の胸のほうが大きくて、右の胸のほうがたれている(そういう日本語字幕だったと思うのだが、DVDを観たら単に「右のほうが大きい」だった。ヘンだな【2008-11-8追記】)そうだが(みなさん、どうですか?)、クライアントから「マネキンにリアリティはいらない」と言われている。華語小学校に通う馬利亞(林明椳/リム・ミンウェイ)と馬利歐(黄子江/ウォン・ズィージャン)の兄弟は、いたずらっ子の落ちこぼれ。父親が夜遅くまで働いているので、寝起き、登下校、食事など、すべて自分たちだけでやっているが、どうにかこうにかやっているという感じでかなり危うい。宿題はあまりできておらず、弟の馬利歐はマレー語の授業に全然ついていけていない。
全く顔を合わせないすれ違い生活をしている親子だが、相手を気づかう気持ちは十分ある。父親は深夜に帰宅すると、翌日の朝食と食事代をテーブルに置き、ふたりがちゃんと寝ているか確かめてから寝る。兄弟は家を出るときに寝ている父親にタオルケットをかけ、夜は父親の夕食を用意して寝る。その様子からは自然な愛情が感じられて微笑ましいが、お互い相手が用意した食べ物は捨ててしまっていたりもする。
父親が息子たちの世話をしないのは、仕事が忙しく生活時間が合わないからだが、自営業だしクライアントも昼の商売なのだから、子供たちの生活時間に合わせて働けないはずはない。どうやら奥さんに逃げられて、その事実から逃避するために家庭に背を向けて仕事に没頭しているようだ。女性を紹介するという友人の好意も受け入れないが、ベッド代わりのソファの横にも、車の中にもマネキンの一部が置かれている。最初は何かの都合で偶然あるのかと思っていたが、ずっとあったので、どうもわざとそばに置いているように思われる。こんなヘンなおとうさん(ヘンな挙動を挙げたらキリがない)を、李添興監督がすごくいい感じに演じている。
子供たちふたりは非常にかわいい。美的な意味でではなく、おそらく素人だと思うが、ナチュラルな存在感がたまらない(関係ないが、全裸シーンもある)。ぜひこの二人で『麦秋』[C1951-02]や『お早よう』[C1959-06]のリメイクをしてもらいたい。しかし、ナチュラルで生き生きした子供たちの様子は、小津映画というより清水映画であり、劉城達監督のことは、これから「マレーシアの清水宏」と呼びたいと思う。
子供たちがかなりいっぱいいっぱいな感じなので、そのうち大きな事件が起こるのではないかとハラハラしながら観ていると、はたして子犬を拾ったことをきっかけに学校で騒ぎが起こり、父親が呼び出される。しかしこの出来事はいいほうに働いて、子供たちの窮状に気づいた父親が、子供たちのことをもっと考えるようになるのと同時に、奥さんとのことにもきちんと向き合おうとする。家族で海へ向かう車の中を長回しで写すラストシーンは、何をしているわけでもないのになにやら楽しそうな雰囲気で、幸福感があふれている。
この映画には、多民族国家マレーシアの理想と現実が盛り込まれているように思う。たとえば、ついていけない子はおかまいなしのマレー語の授業や、華人の学校で教えているくせに華人の文化に対して何の興味も知識もなさそうなマレー人教師。マレー語を国語として強制しているのに、銀行からの通知は公用語でもない英語で来る、英語がわからなければ二等とみなされるような社会(この映画ではだれも英語を話していないのがいいですね)。一方で、父親の助手はマレー人で、マレー語で会話しながら和気あいあいと仕事をしている。学校ではあまり友だちもいない兄弟は、マレー人少女アユと仲良くなってその家で暖かいもてなしを受ける。アユは自由奔放で、イスラム教的な不自由さからはかなり遠いところにいるように思われる。このアユもすごくいいのだが、彼女を演じるアミラ・ナスハ・ビンティ・シャヒランはたぶん『ムクシン』[C2006-18]にも出ていたと思う。
上映後はティーチ・インがあったが、ゲストが監督ではなかったし、参加すると夕食時間が危ういのでパス。らーめん鐵釜で晩ごはんを食べる。