実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『ダンシング・ベル(Chalanggai)』(Deepak Kumaran Menon)[C2006-38]

忙しくかったので帰れるかどうかドキドキしながら一日を過ごし、予定どおり16時半に会社を出て六本木ヒルズへ向かい、Soup Stock Tokyoで晩ごはんを食べる。映画祭7本目は、アジアの風の『ダンシング・ベル』(公式)。去年は「マレーシア映画新潮」という特集があり、華人監督の映画が多く上映されたが、おそらくその続編的位置づけで、今年はインド系マレーシア人監督のDeepak Kumaran Menon(ディーパク・クマーラン・メーナン)の映画が2本上映される。『ダンシング・ベル』はそのうちの新作のほう。

映画はマレーシアのインド系コミュニティを描いたもの。舞台はどこかよくわからなかったが、ペタリン・ジャヤ(PJ)あたりではないかと思う。描かれているのは貧しいインド系マレーシア人の一家で、おかあさん、10代後半の兄、小学生の妹の日常がまず二日間くらい描かれる。特に説明はなく、会話も説明的でないさりげないもので、ごく淡々と描かれているのだが、この部分を見ただけでこの一家がどういう人たちでどのような暮らしをしているのかがすっかりわかる。

このあとこの一家にいろいろと不幸な出来事が起こり、途中までは「もしかしてこのあとすごく悲惨な展開になるのでは」と思わせたが、実際はそれほどでもなかった(家族以外には悲惨な出来事が起こるのだが)。悲惨な状況になりそうになったとき、穏やかで少し明るい感じのテーマ曲がさりげなく始まり、それをきっかけにふつうの日常に戻っていく、というふうに感じられた(そういう印象を受けたが、実際そのようなタイミングで音楽が入っているのかどうかはわからない)。

出来事のあいだの因果関係や登場人物の心理ははっきりとは描かれないが、想像力を働かせればすべてつながるように作られている。なかでも次のふたつのシーンがよかった。ひとつは、同僚の父親がビールを飲んだあとにドリアンを食べて死んだと聞いた兄が、別居だか離婚だかしているおとうさんが飲んでいるところにドリアンを届けるシーン(私もビールのあとにドリアンを食べてしまってビビった経験があるので、ここはなかなかツボだった)。もうひとつは、そのおとうさんが、お供えのお花の屋台を出しているおかあさんに会いに行くシーン。おかあさんはおとうさんを邪険に追い払い、もってきたお金も冷たく突き帰すのだが、おとうさんが仕方なく帰って行ったあと、「本当に帰っちゃったの?」というように、彼が去った方向をちらっ、ちらっと見る。彼が行ってしまったことが明らかになり、おかあさんがふたたび仕事に戻っていくまで、キャメラはおかあさんの様子を映し続ける。そこには、心の中では完全に(元)夫を拒否しているわけではないおかあさんの心情が滲み出ている。

ほとんどインド系コミュニティしか出てこず、インド系マレーシア人だからどうこうという視点は特に感じられなかった。ちょっとだけ華人も登場するが、なかでも自転車屋のおじいさんが、修理をしながら北京語(に聞こえた)の歌を歌うのが、ほとんどフルコーラス流れるところが強く印象に残る。

フィックスのキャメラで家の門のところなど同じ風景が繰り返し映し出され、また全体的に長回し気味であり、スタイル的にも私好みだ。明らかにディジタルとわかる画質で、色も時々不自然だったりするのが残念だ。