バンガロールに来ちゃったの

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『東京物語』(小津安二郎)[C1953-01](DVD)

先日、『家族の肖像 - ホームドラマとメロドラマ』(asin:4916087747)(この本の感想は読了してから別途書く)に収録されている「『東京物語』と戦争の影 - 嫁・原節子」という論文(なのか?)を読んだので、『東京物語』をDVDで観なおした。この論文の内容にはあまり賛同しないが、これをきっかけに、これまで漠然と考えていたことなどをまとめてみる。

東京物語 [DVD]

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第一に、戦争未亡人・紀子について。私は、紀子(原節子)ができすぎた人だとか美化されているとかいった見方には賛同しない。しかし、彼女が一般水準よりいい人であり、義父・周吉(笠智衆)、義母・とみ(東山千栄子)をもてなすことに喜びを感じているのは間違いないと思う。一方で、彼女の亡夫・昌二に対する思いは、忘れられなくもあり、忘れたくもあり、忘れたくなくもありという複雑なもので、この孤独な状況から救い出してくれる王子様を待ちわびる気持ちも当然あるだろう。それとは別に、彼女は「夫を忘れられない貞淑な未亡人」戦略をとっている。それはひとつには、少なくとも王子様が現れていない状況下では、そうすることが精神的なよりどころ、心の支えになっているからである。そしてもうひとつには、いざ困ったときに平山家の人々に助けてもらうための切り札であるからだ。子供のいない彼女には平山家からの相続権はないが、経済的なことを含めて、何かのときに平山家の両親や義兄・幸一(山村聰)、義姉・志げ(杉村春子)に援助してもらうことは、当然期待している(というか期待せざるを得ない)はずである。

そして彼女がいま、この戦略をとり続けるかどうか迷い始めている理由のひとつとして、この映画が作られた1953年という年が重要であると思う。この映画は1953年の11月に封切られているので、映画の舞台は1953年の夏と考えられるが、1953年1月に軍人恩給の復活が閣議決定され、8月1日に実現している。つまり紀子は、軍人恩給がもらえることになって、経済的にはこれまでよりも安定することが期待されるが、一方でその軍人恩給は、平山家と縁を切ったら貰えなくなるものである。そのような状況で、紀子が将来に対して迷うのは当然であり、かつそれは決して口に出しては言えないことだ。このように考えていくと、これまでそのつながりを意識したことのなかった一本の映画が連想される。成瀬巳喜男の『乱れ雲』である。紀子とは違い、夫の両親とあまりうまくいっていなかったらしい『乱れ雲』の由美子(司葉子)は、夫の死後すぐに籍をぬき、恩給(もっともこれは軍人恩給ではないが)がもらえなくなる。もしかして成瀬は、ここで『東京物語』を意識していたのだろうか。

第二に、両親からの視点について。私たちが『東京物語』を語るとき、子供たちが両親に対してどうしたか、という視点に偏っているように思う。たしかに子供たちは両親に冷淡だったかもしれないが、それでは両親の側はどうだろうか。彼らのほうも、子供たちが期待したほど歓迎してくれないとか、偉くなっていないとか、かなり自分勝手な視点でしか見ていない。医院や美容院の経営状態がどうなのか、孫の成績はどうなのか等を心配するシーンも全然ない。

また、実の子供たちと嫁の紀子の態度の違いばかり取り沙汰されるけれども、両親側の彼らへの態度の違いも考慮する必要がある。実の子供に対してはもちろん血の繋がった親密さがあるが、一方で「育ててやったのに」という気持ちも見え隠れして、前述のように心配よりも文句が先に立つ。一方紀子に対しては、他人の気兼ねもあり、彼女が重荷であるのと同時に、本当に申し訳ないという気持ちもあり、前途を心配している。そもそもふたりは最初から、紀子を見て露骨に嬉しそうな顔をする(同じ嫁でも、幸一の妻・文子(三宅邦子)とはえらい違いだ)。

最後に、『東京物語』の設定の曖昧さについて。小津は、たとえ映画の中に登場しなくても、登場人物の住んでいる場所や職業や家庭環境などの細かい設定をすべて考えているとよく言われる。それはほかの映画ではたしかに納得できることが多く、ほんのちょっとした台詞からそういったものが推測され、物語にリアリティを与えることも多々ある。しかし『東京物語』にはどうも曖昧な点が多い。まず、志げは兄弟の中で浮いている。美容院を経営しているというのは、全体にインテリの家庭の中で異質だし、夫の庫造(中村伸郎)もどこの人かわからず、彼女がいったいどういう経緯で東京に出てきたのか想像しにくい(そもそも彼女はもともと東京に住んでいるように見える)。それに、紀子と昌二がどのようにして知り合ったのかも謎である。とみが昌二の写真について「いつごろ?」と問うところからも、(「結婚した年」とかではなく)「戦争にいく前の年です」と答えるところからも、ふたりの結婚生活は三年くらいはあったように思われる(ネットで三ヶ月というのを見たけれどそれはおかしい)。そうすると、二十歳で未亡人になった紀子はかなり若いときに結婚したことになるが、いったいどういう接点があったのだろうか。

また、両親と子供たちがこの前いつ会ったのか、紀子や文子は彼らと何回ぐらい会っているのか、昌二の結婚式や葬式はどこでしたのか、といったことも全然わからない。子供たちが東京にいて両親が尾道に住んでいれば、何人かは戦争中疎開していたと考えるのが普通だと思われ、なんとなく親しげな様子はそういうことを連想させもするが、そうとわかるような台詞などは一切ない。それからとみの葬儀後の場面でも、ほかの親戚などが一切出てこないのがかなり不自然である。似たような状況をもつほかの映画、たとえば『小早川家の秋』の葬儀シーンや、『麦秋』の大和のおじいさんの上京などと比較してみたとき、『東京物語』の曖昧さはかなり際立っている。

ところで、『東京物語』に関して検索していたら、第019回国会予算委員会(1954年2月11日)の議事録が出てきた(LINK)。この中で、社会党の堤ツルヨ議員が、年金問題に関連して『東京物語』に言及している。この人はどうも靖国問題で物議をかもしている、ウヨクが飛びつく人のようなので、ちょっと紹介するのがためらわれるが、おもしろいので引用しておく。

……あなたは東京物語という映画をごらんになりましたか。あれは何とか五に入りましたもので、私も見ましたが、あの東京物語に出て来るじいさん、婆さんは国民の中ではまだ最上部です。子供を育てたあげくの果てに、うば捨て山に行かなければならない老夫婦を、あれは描いておるのですが、息子夫婦が町医者をやつておる。次の娘が主人と一緒にパーマネント屋をやつておる。次の息子が国鉄、次の娘が学校に行つておる家庭というのは国民全般からいえば、まだ最上層、大臣の次くらいです。それがあの映画を見たあとで国民全般はどう思いますか。希望なき国民の姿。あすなき日本の家庭の実態があの中に現われておる。大臣連中はよくあれをごらんになつて、吉田内閣の政策の貧困をよく御反省にならなければいけない。……