シネマート六本木で、モルテザ・ファルシャバフ監督の『嘆き』(東京国際映画祭)を観る。第24回東京国際映画祭のアジアの風部門アジア中東パノラマの一本。
姉の家に来ていた夫婦が夜中に息子を置いて帰ってしまったが、帰りに交通事故に遭って亡くなり、姉夫婦と子供が事故現場と病院へ向かう道中を描いたロードムービー。この状況を、真っ暗な画面から夫婦の争う声だけが聞こえるショット、部屋で子供が寝ているショット、3人が車に乗っているシーンとそこでの会話でわからせるところがユニーク。
さらにユニークなのは、この映画は会話劇なのに、姉夫婦は耳が不自由でしゃべれないため、ほとんどの会話が手話であることだ。しかも、3人が車に乗っているシーンは走っている車のロングショットで始まり、会話をしている人たちは画面に映っていないのに、夫婦の手話での会話が字幕によって示される。
夫婦の会話は、どうして妹夫婦は黙って帰ってしまったのかとか、どうして子供を置いて行ったのかといった当面の話から、子供は自分たちが引き取るべきかといった今後の話へと移っていく。夫は、自分たちが育てるのが子供にとってもいちばんいいのではないかと言うが、妻は、障害者だから子供をもつことを諦めたのに何を今さら…と言い、次第に「だいたいいつもあなたは…」的な夫婦の言い争いに発展していくのがおもしろい。
子供が両親の死にいつ気づくのかをひとつのサスペンスとして緊張をはらんで進んでいくが、夫婦は手話で話しながらささやきのような音声をいちおう発していて、後部座席にいる子供は、ヘッドホンをつけたりはずしたりしている。そのあたりの、聞こえているのか聞こえていないのかよくわからないところも緊張を高めている。ところで、子供は唇の動きから伯母夫婦の会話を理解できるらしいのだが、親ならともかく、伯母夫婦が言葉が不自由だからといって小さい子供がそんな技術を身につけているものなのかどうかがいささか疑問だった。