実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『水女(水女)』(金綺泳)[C1979-25]

3本めは、アジアの風で金綺泳(キム・ギヨン)監督の『水女』。タイトルバックで「国際児童年なんとか映画」というのが出て、金綺泳と国際児童年という組み合わせに驚く。

この映画の主人公は、ベトナム戦争に従軍して足が不自由になった男性と吃音の女性の夫婦。『高麗葬』[C1963-35]を観てもわかるように、金綺泳は肉体的欠陥や障害に異常な執着をもっているようだ。男性が復員してくると、「帰還兵には補助金が出るが独身だともらえない」と言われ、『トルパン』[C2008-03]みたいに嫁探しが始まる。しかし『トルパン』とは違って、村長から「ちょうどいい出物がありますよ」と吃音の娘を紹介され、すぐに結婚話がまとまるのだ。

この林隆三みたいなベトナム帰還兵は、いつも怒ってばかりでかなり不快な人物。それでも途中までは、夫が農作業ができないので、妻が得意の籠づくりで家計を支え、夫も新製品のために材料の加工を工夫したり、輸出のための会社を作ったりして、夫婦力を合わせて生活を軌道にのせるさまが描かれている。しかし、生まれた子供は母親の遺伝で吃音であり、悪者の男女が現れて一家の幸福な生活が壊され、ドロドロ金綺泳ワールドに入っていく。ただ、この男女がいかにも悪者っぽくてあまり魅力がないため、このあたりはあまりおもしろくない。

物語は終盤まで国際児童年とは何のかかわりもないまま進んでいく。国際児童年との関係が突然明らかになるのはほとんどラストである。悪者男女のたくらみに引っかかり、男は妻を殺そうとして舟で連れ出すが、思いとどまって戻ってくる。そこにはソウルの学校で吃音が直った息子が待っていて、集まった村の人々(彼らは妻を殺した男が逮捕されるのを見に集まっていた)を前に、学校で憶えた児童憲章を暗誦しはじめる。この村にはほとんど子供などいそうにないのだが、「みなさんご一緒に」と村の人々にも児童憲章を復唱させ、みんなで児童憲章を唱えて盛り上がる感動のラストとなる。「取ってつけたような」という言葉があるが、それを逆手にとったというか、「わざと取ってつけてみました」というすごい唐突な展開に、もう唖然とするしかない。

さらに驚いたことに、一緒に復唱しているうちに母親の吃音まで直ってしまうのである。「これまで本音が言えなかったけれど、これからは本音を言うわよ」と妻が夫に言って映画は終わるのだが、韓国で本音が言えるようになるまでには、まだしばらくの時間を経なければならない(『水女』は1979年の映画である)。

この映画は、朴政権下のセマウル運動(地域開発運動)と連動した「セマウル映画」だということで、「名誉ある軍人の妻」とかなんとか国策映画っぽい台詞が出てくる。いちばんすごいのは、お見合いの席で「吃音でも『愛国歌』が歌えればいい」と言って歌わせるところ。ウリナラマンセー♪とかすごい歌詞で笑ってしまう。

夫婦の家と妻の実家の家の間には、何もない荒野のようなものが広がっている。そこを歩くふたりをロングショットで捉えたシーンが繰り返し出てきて印象に残った。