実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『夏時間の庭(L'heure d'Ete)』(Olivier Assayas)[C2008-24]

エチオピアの小津的な席で野菜カリーを食べてから、銀座へ移動。買い物をしたりお茶を飲んだりしたあと、銀座テアトルシネマでオリヴィエ・アサイヤス監督の『夏時間の庭』を観る。

オルセー美術館開館20周年記念作品ということは、侯孝賢(ホウ・シャオシェン)の『ホウ・シャオシェンのレッド・バルーン』[C2007-30]と同じ。このふたりは、アサイヤスが撮ったドキュメンタリー『侯孝賢[C1997-10]でつながっているのだが、これは偶然なのだろうか。また、いつもジュリエット・ビノシュが出ているのは、オルセー側の要請なのだろうか。

画家だった叔父の遺産を受け継いだ母親が亡くなり、きょうだい三人がその遺産をどうするかというお話。中国やアメリカへ行っている弟(ジェレミー・レニエ)と妹(ジュリエット・ビノシュ)は、行く暇もない家を維持するより、現実的な財産分与を要求する。お金が必要だということもあるけれど、彼らは順調な人生を歩んでいて未来が開けているから、懐かしい家やそこでの思い出にすがる必要がない。一方、家を維持して子供たちに伝えていきたいと望む長男(シャルル・ベルリング)は、仕事にも家庭にもトラブルを抱え気味である。だから過去の思い出にすがりたい気持ちもあるし、家や美術品を維持していくといったやりがいのある仕事を求めてもいる。これはそのまま、自分の商売や家族があってそれなりに暮らしている山村聰杉村春子が両親をほったらかしにしがちなのに対し、家族もなく経済的な不安を抱える原節子は亡夫の両親を大事にせざるを得ない、という『東京物語[C1953-01]の構図を連想させる。

きょうだいが遺産をどうしたいかという思惑とは別に、相続税の問題が大きくのしかかり、結局、美術品は美術館に寄贈し、家は売却することになる。美術館に寄贈するというのは、美術品の保存のためにも、相続税対策としても、ひとつの有効な解なわけだが、生活の場に溶け込んで魅力を放っていた美術品が、実際に使われる場から離れていかに輝きを失ってしまうかを、この映画は問いかけてもいる。いちばん幸せなのは、高価な芸術品だとも知らずに家政婦に引き取られ、これから毎日花が生けられるであろうブラックモンの花瓶である、ということになるかもしれない。オルセーの依頼で作っているのに、このようなテーマをもってくるとはアサイヤスも大胆である。オルセーに寄贈された品の展示シーンの前に、優れた修復技術などをアピールするシーンがあったのが、いかにも取ってつけたような感じだった。

映画の冒頭は、母親の誕生日を祝うために家族みんながこの家に集まっていて、最初は子供たちが池のほうへ行って遊ぶシーンだ。これと呼応するように、映画の最後は売却が決まった家に若者たちが大勢集まっている。家の価値などわかっているようには思えない騒々しい若者たちに、「だいじょうぶかいな」とハラハラさせられるが、そう思わせておいてのあのラストは非常にうまい、いい終わらせ方だと思った。