ラピュタ阿佐ヶ谷の「松竹大船メロドラマの薫り」(公式)に『霧子の運命』を観に来たけれど、ちょうど時間が空いているので、その前に吉村公三郎監督の『暖流』を観る。二度め。
病院を舞台に、日疋祐三(佐分利信)、志摩啓子(高峰三枝子)、石渡ぎん(水戸光子)、笹島(徳大寺伸)の4人の男女が織りなす恋愛ドラマ。凛とした高峰三枝子のたたずまい、徳大寺伸の好演、いたるところから立ちのぼるモダンの薫りが魅力的な映画。
男二人、女二人がそれぞれ対照的な性格に設定されているのが興味深い。まず女性。私立病院の院長令嬢の啓子は、複雑かつ現代的な女性で共感できるところが多い。日疋が好きだけれど「酔えないから」笹島を選び、破局しても日疋をぎんに譲り、それでも最後に日疋に気持ちを打ち明ける。彼女が「日疋のほうが好きだったけれど酔えなかった」と言う気持ちはよくわかる。わかるけれど、酔えるほうにするのはだめんずを選んでしまう道なのでやめたほうがいい。でも日疋と結婚したら『お茶漬の味』[C1952-06]の木暮実千代になってしまうと思う。あの映画では結局うまくいくことになっているけれど、ぜったいにウソである。たくましさよりネクタイの好みのほうが大事だと思います。
一方、看護婦のぎんは、一途に日疋を思いつづける女性。一途なのはいいけれど、常に日疋に対して下手に出ているようなところとか、時おり打算がちょっとのぞいたりするところにイラッとするときがある。
次に男性。院長に頼まれて病院の経営改革を行う日疋は、純朴で正直で仕事ができる男性。しかし純朴にもほどがあるというか、そのわりに下心が見え見えなわかりやすい行動をするひどい男。啓子が笹島との婚約を解消した傷心の日にプロポーズし、自分ではそれを正直さの現れと思っている。ぎんを仕事に利用しておきながら、自分に気があるとわかったとたん、露骨に遠ざける。揚げ句に「誤解を招く行動は一切していない」と詰め寄るが、自宅に呼んだりされれば誤解はしないまでも期待を抱いてもしかたがない。そして啓子にフラれると、その日にぎんとの結婚を決める。大きな決断をするときは案外そんなものかもしれないから、そこまでは許そう。
許せないのは、ぎんとの結婚を決めたあとで啓子に「ほんとうはあなたのほうが好きだった」と言われたとき、すでに気持ちがぎんのほうへ行ってしまっていて、どうでもよさげに対応するところ。いくら純朴な男でも、ここで少しは未練を表してもらわないとメロドラマとして深みがない。啓子の涙ももったいない。
一方、外科医の笹島は、キザで傲慢な男。啓子との婚約にこぎつけるものの、看護婦を弄んだことがバレて破棄される。バレたときの往生際が悪く、悪人としてドラマから脱落してしまうのだが、結局悪人としてどうでもいい扱いにされてしまうと、やはりドラマに深みがなくなってしまう。せっかく徳大寺伸がほかでは見たことがないキザな男を好演しているのに、もったいなさすぎる。彼が啓子と婚約するのは地位や財産が目当てではないと思うし、遊んだ看護婦に抜け目なく口止めしたりせず、関心がなくなったら放置してバレてしまうところからも、それほど悪い人とは思われない。もうちょっと将来に希望がもてる扱いにしてもらいたかった。
事務長らしき人物を演じる日守新一が、いつものとぼけた味を出しているところにも注目。また岡村文子が日疋の母親役で、「なんで婦長さんじゃないの」と突っ込みたくなる。