実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『霧子の運命』(川頭義郎)[C1962-45]

同じくラピュタ阿佐ヶ谷の「松竹大船メロドラマの薫り」(公式)で、川頭義郎監督の『霧子の運命』を観る。

霧子という女性の半生を描いたドラマなのか、霧子と宇佐見の逃避行を描いたドラマなのか、いまひとつ判然としない映画。少女時代から時系列に沿って描かれるので、霧子の半生を描いたものかと思って観ていたが、少女時代で描かれているのは、結局現在を説明するのに必要な部分ばかり。全体として中途半端な印象をぬぐえない。メロドラマという感じでもない。

霧子の半生として見ると、最も不可解なのは、けっこうブサイクな子役の少女(兼松恵)が17、8になったら岡田茉莉子になるということである。子役の出番もそれなりに多いので、観た人全員が同じ疑問を感じるに違いないのに、この配役を強行した裏にはいったい何があるのか、訝しく思わざるを得ない。このとき29歳の岡田茉莉子は、まだまだたいへんきれいではあるが、目の下のたるみやしわが気になるお年頃。他の女優にくらべて明らかに老けの早い彼女は、いったいどこで何を間違ったのか。見るたびに考え込んでしまうので、けっこう疲れる。

この映画を観たのは、逃避行の相手、宇佐見を演じるのが吉田輝雄サマだから。宇佐見は、大金を盗むつもりがはした金だけ取って警備員を殺してしまったり、ひとりで逃げたり死んだりできず霧子にすがりついたりする、気が弱くて情けない男。演技的にはがんばっているのかもしれないが、やはり吉田輝雄サマは、クールでスマートで自信たっぷりな男や、とんかつをおかわりしちゃうようなコミカルな男を演じてほしい。棒読みでもいい、かっこよく育ってほしい。輝雄サマに演技力はいらない、というのが本日の結論。

輝雄サマ以外の見どころといえば、逃避行先で下部温泉(↓左写真)や石廊崎(↓右写真)が出てくるところ。