実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『沖縄列島』(東陽一)[C1969-30]

ポレポレ東中野の「『酔いがさめたら、うちに帰ろう。』公開記念 東陽一監督特集」で『沖縄列島』を観る。復帰前の1968年の8月〜10月に撮影されたドキュメンタリー。

冒頭、「アメリカが沖縄を搾取しているのではなく、日本が沖縄をアメリカに売って搾取させているのだ」といった内容のインタビューのことばが流れる。それはまったくそのとおりなのだけれども、いきなり映画の方向性やメッセージを規定してしまっている。

映画はその後、沖縄列島のいろいろな場所、いろいろな人、いろいろなできごとを断片的に綴っていく。基地に囲まれ、軍用機が日常的に飛んでいる風景。いろいろな党派の政治運動。戦争の傷痕。パイン工場に出稼ぎに来ている台湾人の女の子たち。写されているものはどれも興味深い。

しかし、Twitterのタイムラインのように次から次へと流れていく映像は、いささか目まぐるしすぎ、40年も経って、たいした知識もなしに観ると消化しきれない。冒頭の強いメッセージと、これらの流れていく映像のあいだにちょっとギャップがありすぎるような気がする。

観終わって感じるのは、このままでも地獄、復帰しても地獄、みたいな未来のない感じ。沖縄が抱え込まされてきた矛盾がさらに積み重なり、増幅しているという感じ。自衛隊を辞めて沖縄に帰ってきた青年の、「事情があって辞めたけれどずっといたかった。自衛隊大好き。でも首席選挙は革新に入れます」という印象的なことばは、こういったことを端的に表しているのかもしれない。

そして、内地>沖縄>台湾という戦前の図式が当時もまったく変わっていないということ、沖縄を取り巻く問題が当時も今もぜんぜん変わっていないということに、やりきれなさを感じざるを得ない。疲労感の残る映画である。