実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『女の子ものがたり』(森岡利行)[C2009-07]

銀座へ移動して、シネカノン有楽町2丁目で森岡利行監督の『女の子ものがたり』を観る。これは特別観たい映画というわけではなく、深津絵里ファンのJ先生のつきあい。深津絵里はけっこう好きだが、お金を出して観たいような映画にあまり出ていないので、つきあったのは『(ハル)』[C1995-36]以来か。『女の子ものがたり』は西原理恵子原作だが、わたしは彼女の漫画を読んだことがなく、原作の映画化としてどうか、という評価はできないので、以下は単純に一本の映画としての感想である。

この映画は、締め切りに追われているスランプ中の漫画家、高原菜都美(深津絵里)の現在の生活と、彼女の小学校〜高校時代の回想が並行して進んでいく。これが最終的に、「かつての親友たちのことを描くことでスランプから抜け出す」というふうに収束するのだが、そのことが最初からミエミエで、そのとおりに進行するのでシラける。深津絵里が演じる漫画家も、「適齢期を過ぎてそこそこ売れている独身の女性作家」像としては、あまりにもステレオタイプのように思われる。一方、回想シーンで描かれるのは女の子3人の友情とその崩壊。しかし残念ながら、ともだちと過ごす時間の煌めきも、それが壊れてしまうことの切なさも、ほとんど感じることができなかった。

これといった産業もなさそうな田舎町に住むなっちゃん(大後寿々花)、きいちゃん(波瑠)、みさちゃん(高山侑子)の友情は、「ここから出て行くこと」と密接な関連をもって描かれている。3人を親友として結びつけているもののひとつは、おそらく彼女たちの不幸な家庭環境だろう。あまり恵まれない家庭で育った子供が、親と同じ人生を送りたくないと思ったらここから出て行くしかない。そのことに幼いころから自覚的ななっちゃんと、そうではなく自ら進んで不幸な人生にからめとられていくように見えるきいちゃんやみさちゃん。なっちゃんはそのことが歯がゆくてならず、それが3人のあいだに亀裂を生んでいく。

友情がはっきりと壊れるきっかけは、結婚したきいちゃんとなっちゃんとの喧嘩である。ここでのきいちゃんの言葉をそのまま受け止めたなっちゃんが、きいちゃんが亡くなったあと、現在のパートできいちゃんの母親(風吹ジュン)を訪ねてその本心を知る、というのがこの映画の構造である。しかし、なっちゃんを罵倒するきいちゃんが、すべてを本気で言ってはいないこと、なっちゃんが思っているほど自分の境遇に無自覚ではないことは、観ていてはっきりとわかってしまう。そのうえきいちゃんの本心が、すべて母親の台詞で語られてしまうという芸のなさ。このように、先が全部読めてしまうため、なんだか映画に没頭できないで終わってしまったのであった。