- 花蓮の朝はあまり早くない。開いているお店を探して街をぐるぐる。なんとか蛋餅が食べられる店を見つけ、蛋餅と豆漿の朝ごはん。
- 今日は一日ドライブの予定。予想気温も下がってきたし、山の方へ行くし、日本を出たときよりも重装備で出かける。昨日は車に暖房があることを忘れていて寒い思いをしたので、今日は真っ先に暖房のスイッチを入れる。うちのパンダと違って、日本車の暖房は暖かいなあ。
- 台東縣北部あたりまで南下して、花蓮縣をほぼ一周する予定。花蓮から台東に向かう道は、海側を省道11號、山側を省道9號が走っていて、両者をつなぐ道がいくつかある、という単純な構造。今日の計画は、11號を豐濱まで南下、11號甲で山側に入り9號を南下、安通から省道30號で海側へ出て豐濱まで北上、再び11號甲で山側に入り9號を北上して花蓮に戻るという逆八の字コースである。
- 台北でCDを調達できなかったが、車の中に周杰倫(ジェイ・チョウ)の“11月的蕭邦”があったのでかける。周杰倫には特に興味がないが、台湾をドライブしている気分はそれなりに出た。今回は生きて帰るのが目標なので、「これ、“頭文字D”[C2005-04]の曲だよね」と言いながらアクセルを踏むJ先生を「どうどう」とおさえつつ、結局全部で6回聴いた。
- まずは花東海岸公路(省道11號)を南下、芭崎旅憩區瞭望台でちょっと休憩してから磯崎國小(花蓮縣豐濱郷)へ(id:xiaogang:20080102#p2参照)。廃校になった小学校で、『花蓮の夏』のロケ地である。校舎には入れなかったが、海が目の前の校庭などをぶらつく。
- 光豐公路(省道11號甲)で海岸山脈を越え、花蓮觀光糖廠(公式)(花蓮縣光復郷)へ。1920年に建てられた、鹽水港製糖株式會社花蓮港製糖所大和工場である。戦後は台糖の花蓮糖廠となり、2002年に役目を終えて、現在は観光地となっている。戦前の日式家屋などが残されていて(上写真)、一部は宿泊施設となっているようだが、全体としては整備の途中という感じだ。ちょうどお昼だったので、昨夜に続いてワンタン(わたしは抄手でJ先生は扁食)を食べ、お約束の冰品を食べる。
- 台灣鐵路花東線と並行して走っている花東縱谷公路(省道9號)を南下。富源火車站(花蓮縣瑞穗郷)そばの杏林醫院を外から見る(id:xiaogang:20080102#p3参照)。さらに南下して、玉里高中(花蓮縣玉里鎮)を外から見る(id:xiaogang:20080102#p4参照)。いずれも『花蓮の夏』のロケ地。
- もう少し南下して玉長公路(省道30號)に入り、再び海岸山脈を越える。ちょうど海岸へ出た白桑安(台東縣長濱郷)のあたりで『夢遊ハワイ』のロケ地をチェック(id:xiaogang:20080102#p5参照)。花東海岸公路を靜浦(花蓮縣豐濱郷)あたりまで北上して北回歸線標誌(上左写真)を見る。ヘンリー・ミラーの影響もあって、「北回帰線」には漠然としたあこがれをもっている。しかし、こんなモニュメントを見ても「だから、なに?」という感じだ。北回歸線標誌は花東縱谷公路にもあったはずだが見逃した。
- 光豐公路へ入り、今度は花東縱谷公路を北上。オプションのひとつだった林田山はパスして豐田(花蓮縣壽豐郷)へ。ここは日治時代の移民村で、日式家屋などが残っているらしい。しかしすでに暗くなり、文史館も閉まっているので、豐田神社の鳥居(上右写真)だけ見ておしまいにする。あとはひたすら北上し、返却予定の18時きっかりにレンタカー屋に到着。返却して無口なおじさんにホテルまで送ってもらった。
- 生きて帰れないかもと思った台湾初ドライブは、全くトラブルもなく終わった。台湾人の運転のすごさはよく語られているが、都市部でなければあまり問題はなさそうだ。「車線変更命」みたいな人も何人か見かけたが、追い越し禁止の道路でやたらトロトロ走る迷惑な人もけっこういた。信号に名前がついていないのと、標識から分岐点までの距離が短いのとで、曲がりそこねる危険が日本に比べて多いと思う。
- 今日も夜の街へ出かける。晩ごはんは、昨夜から目をつけていた周家蒸餃(id:xiaogang:20080102#p6参照)。その後、お菓子屋さんを巡っておみやげを買う。花蓮はお菓子屋さんがものすごく多く、しかもわたしの好きな老店だらけ。紱利豆乾專賣店(公式)で白梅などを、前山手工牛軋糖(公式)で牛軋糖を、芣瀾薯道(公式)で花蓮薯を、惠比須餅舗(公式)で夜のおやつを買う。紱利豆乾は八十年老店で、惠比須餅舗は百年老店。来店した芸能人の写真がたくさん載っている芣瀾薯道のパンフレットには、『花蓮の夏』の三人も制服姿で写っている。
- 今日訪ねたところは車がなかったら行けなかったので、運転免許が解禁になって本当によかったと思う。しかし今日の歩数が15003歩というのは、ちょっと堕落である。