実質的な最終日の今日は、たいへん忙しいので5時半起床。最初の行き先は今日も台北市立動物園(公式)。「開園前に行って並ぶぞ」と気合を入れ、早めに朝ごはんをすませて出かけたのに遅刻。すでに動物園の前には観光バスがいっぱい、入口の前には小朋友がいっぱい。悠遊卡で入園する。
パンダはそれほど人気がないという噂だったので、好きなだけ見られるかもと密かに期待していたが、やはりそんなことはなかった。入るときに時間が書かれた整理券をもらい、大貓熊館にはその時間に整理券と引き換えで入場できる。つまり一回の入園につき、一回しか見ることができない。書かれた時間は‘9:20-9:29’。パンダがあふれている(id:xiaogang:20090505#p2)なかを大貓熊館(↓左写真)に急ぎ、行列に並ぶ。
平日の朝ということもあり、待っている人の大半は、クラスや学年単位で来ている小学生や幼稚園児と、農協ツアーで来ている中高年で、個人客は少ない。ドキドキしながらのろのろと進み、ついに2頭のパンダ、團團と圓圓を見た(id:xiaogang:20090505#p3)。小朋友やジジババはわりにクールで、「立ち止まらないでくださぁぁぁい(推定)」と叫ぶおにいさんに睨まれつつ、ガラスにへばりついて写真を撮っているのは日本人だったりする(いえいえ、わたしだけじゃありません)。抵抗も空しく、パンダ見物はあっというまに終了。客のいない売店を冷やかし、外の売店でパンダアイスを買って(id:xiaogang:20090505#p4)さっさと退散。ここではまだ見ていない無尾熊(コアラ)も見たかったけれど、業務多忙のため断念。そういえば大象を見に行って、久しぶりに『ラブ・ゴーゴー』[C1997-05]のロケ地チェックをする予定だったのに、出てから思い出してあとの祭り。入口にはまた続々と小朋友がつめかけていた(↑右写真)。
今日の主な行き先は金瓜石(台北縣瑞芳鎮)。いつもは基隆からバスで行くが、今回は台北から直行する方法を試そうと、忠孝復興捷運站から基隆客運バスに乗る。悠遊卡も使えるし、瑞芳まではすいているし、金瓜石まで1時間くらいで着いて快適だった。大半は九份で降りたが、金瓜石まで行く客も2割くらいはいる。日本人が「今日はきんつめいしは行かないの?」と言うのが聞こえたが、「きんつめいし」ではなく「きんうりいし」ですから。
お昼前に金瓜石に到着。まずは祁堂老街に向かう。『悲情城市』[C1989-13]のロケ地だった台金公司附屬醫院の跡地は、あいかわらず駐車場のままだ。ここから見える石段の景色(↓左写真)も変わらない。バス停附近にはけっこういた観光客も、祁堂老街(↓右写真)まで来ると全く見かけなくなった。
祁堂老街の古い家を改装したカフェ、真心咖啡館(↓写真)で昼ごはん。法國土司と美國鬆餅のブランチを食べる。ここは、金瓜石のドキュメンタリー、『雨が舞う 〜金瓜石残照〜』[C2009-01]に出てきたところ。映画の中で、たしか花蓮から移り住んできたと言っていたが、女性がひとりでやっている。料理はいまひとつだったが、お洒落で居心地のいい店だった。くねくねした細い道や石段を歩いて黃金博物園區に向かう。店にいるあいだは知らん顔で寝ていたくせに、店を出ると真心咖啡館の看板犬ミミ(↓写真)がついてきた。時々先に行ってしまうが、こっちが別の道へ行くといつのまにか戻ってくる。どこまでもついてきそうだったのに、石段の上に勢ぞろいした4匹の凶暴な犬に阻まれて帰って行った。黃金博物園區(公式)は、いくつかの金鉱関連施設や博物館から成っている。展示施設には100元の共通券で入れるようだが、それとは別の本山五坑坑道體驗(50元)というのを試す。『無言の丘』[C1992-79]にもちょっと出てくる本山五坑(id:xiaogang:20090505#p6)は、今までは入口を見るだけだったが、坑道の中に入れるようになったのだ。ヘルメットを渡されたので、坑夫気分になるための小道具かと思ったら、実際に危険防止のためのようで、「中で暴れたりせず、さっさと出ます」というような宣誓をさせられて中へ入る。坑道では、蝋人形の坑夫がお出迎え。行けるところは限られているので、『どたんば』[C1957-33]ごっこなどはせずにさっさと出る。次は、『牯嶺街少年殺人事件』[C1991-16]などのロケ地である金瓜石太子賓館へ(id:xiaogang:20090505#p5)。ここは共通券で入れる施設のはずだが、チケット売り場はなく、レシート(台湾で一般に発行されるくじつきのもの)を一人1枚出せば入れるという。なんとか2枚見つけて無事に入場。以前一日だけの特別公開で来たことがあるが、建物内には入れなかった。一般公開されたので中に入れるかもと思って来てみたがやはり入れず、おばさんが見張っているのでゆっくり見づらい。
『無言の丘』の広場のロケ地である鍊金樓下の駐車場(id:xiaogang:20090505#p6)や、『悲情城市』のロケ地の八角亭跡(id:xiaogang:20090505#p7)などもまわる。観光客がいるのは黃金博物園區だけで、八角亭跡まで来ると昔のままの静かな金瓜石である。
金瓜石に来たのは、観光地化されてからの変化を見たかったのもあるが、主目的は水湳洞にある十三層遺址に行くこと。すでに15時近くになっていたが、水湳洞を目指して下って行く。くねくねの金水公路(↓左写真)は一度は車でとばしてみたい道路だが、歩いている人は全然いない。くねくねの先には、黃金瀑布(↓右写真)というのがあった。
十三層遺址(↓写真)まではすごく遠いと思っていたが、30分ほどで着いた。ここは、1933年から1981年まで稼働していた銅の精錬所の跡地である。背後の山側にトンネルの入口(↓左写真)があり、‘隧道年久未修危險禁止進入’と書かれていた。その前に一台の車が乗りつけたと思ったら、おじさんがおもむろに中へ入って行く。バイクでやって来たカップルとわたしたちは唖然として見ていたが、そのうちそのカップルも入って行った。しばらくして次々戻ってきたので、私たちも入ってみる。中は予想以上に真っ暗で、下はでこぼこして歩きにくく、やっとたどり着いた出口(↓右写真)の先は、ただ山の斜面が広がっているばかりだった。十三層遺址は、北部濱海公路から見ると名前のとおり層状に見えて壮観だが、ここはそのいちばん上の部分。だから層状の景観を見ることはできないが、向こうには陰陽海が見える(↓左写真)。ついでに『無言の丘』に出てくる二本の柱を見ようと、茶壺山登山歩道に入る。このあたり一帯には廢煙道が縦横に走っているが、廢煙道を断ち切って道が通っているところがあり、切り通しみたいで壮観だ(↑右写真)。登山歩道はその先で断たれていた。おそらく九二一集集大地震によって山が崩れたものと思われ、崩れた部分の向こう側に、目的の二本の柱が見えた(id:xiaogang:20090505#p8)。引き返して九份に向かう。九份溪に沿って上り、それから山尖路觀光歩道という整備された石段をひたすら上る。途中に美しい石砌拱橋(↓左写真)がある。金瓜石から水湳洞までひたすら下ってきたのだから当然だが、今度はずっと上り。目の前の石段(↓右写真)を上りきると、また次の石段が現れる。その繰り返し。山寺に行ったような気分だが、途中にこんにゃくも売っていない。結局、引き返したところから九份側の山尖路觀光歩道入口まで、ちょうど1時間かかった。
17時を過ぎていたので、九份での行き先は二箇所だけ。まず、豎崎路の上のほうにある、絶景の阿柑姨芋圓で芋圓を食べる(id:xiaogang:20090505#p9)。それから豎崎路をひたすら下り、1937年竣工の台陽礦業事務所(↓写真)を見る。最後の晩ごはんはやっぱり基隆廟口で食べたいので、バスで基隆(基隆市)へ。吳記[金鼎]邊趖、一口吃香腸、全家福元宵、營養三明治などをハシゴ(id:xiaogang:20090505#p10)し、國光客運バスで台北に帰る。ホテルに近い台北科技大學前にバス停があるのがうれしい。21時半ごろホテルに帰着。今日の歩数は29327歩。かなり歩いた気がするのに、また目標に届かなかった。上り続きで歩き方がヘタレだったので、ちゃんとカウントされなかったに違いない。