実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『寒夜』(李喬)

『寒夜』読了。台湾の歴史が大きく動いたふたつの時、すなわち日本の統治が始まるときと終わるときを舞台に、客家人一家の過酷な生活を描いた小説。

寒夜 (新しい台湾の文学)

寒夜 (新しい台湾の文学)

第一部「寒夜」は、清朝統治時代の終わりから日本の植民地時代のはじめにかけて、農民が自分の土地を求めて奥地へ移住し、苦労して開拓するものの、自分の土地を得ることはできないという話。台湾中部の蕃仔林というところでの農民の辛く苦しい生活に、原住民との戦いややがてそれが日本軍との戦いに変わる様子などを絡めて描かれている。一家の家長、彭阿強、養女の灯妹、その夫の阿漢が主な登場人物。第二部「孤灯」は、第二次大戦末期が舞台で、灯妹、阿漢夫婦の子、明基と、阿強の曾孫の永輝が、徴用されてフィリピンへ行く話。米軍の上陸後、敗走する明基の話が中心だが、戦争末期の蕃仔林における灯妹たちの厳しい生活も描かれている。物語は、全体を通しての主人公である灯妹が亡くなり、明基が米軍に捕まるところで終わる。辛くて苦しくて寒くてひもじい物語だが、それ以上に、生きることに対する強い思いや農民の土に対する思いが力強く描かれている。しかし、生還すると思われる明基のその後の運命に思いをはせると、暗澹たる気持ちにならざるを得ない。知識青年の明基と、最後に政治運動に関わることが示唆される彼の兄、明青が、二二八事件から白色テロへと続く時代を無事に生きられるとは思えないからだ。「寒夜」はさらに30年以上続くのである。

小説としての評価とは別に、やはり興味深いのは、日本の植民地統治下の生活がリアルに描かれている点だ。第一部では、清朝が日本と戦争をしていることも、日本人がどういうものかも知らないところへ日本軍が上陸してきて起きた混乱や、日本軍の民間人に対する殺戮、原住民から身を守るために作られていた軍隊が抗日義勇軍へと転じたことなどが描かれている。台湾が日本へ割譲された当時の様子は想像するのも困難なだけに、非常に興味深い。第二部では、表向きは「志願」の徴用が実は強制以外の何者でもないことがしっかり描かれている。『悲情城市』は玉音放送で始まるが、蕃仔林のような田舎では誰も玉音放送を聞いておらず、日本の敗戦の知らせは翌日の夜になってやっと伝わってくる。明基が、「三本足」と呼ばれる対日協力者の台湾人(ちなみに日本人は「四本足」)に対して抱く激しい憎しみも興味深い。

原作は、“寒夜三部曲”という三部よりなる小説から第二部を抜き、第一部と第三部を半分に縮めた簡約本だということで(原題の訳は『大地の母』)、解説にもあるように、ややつながりが不自然なところや説明不足なところがある。概要を読むと、抜かれた第二部“荒村”は、日本統治下での抗日運動が描かれているらしく、一番おもしろそうだ。ぜひ翻訳を出してほしい。

“寒夜三部曲”は、“寒夜”(LINK)、“寒夜續曲”(LINK)としてテレビドラマ化されているようだ。“寒夜”は石雋(シー・チュン)主演。“続寒夜”は鄭文堂(チェン・ウェンタン)監督で、梅芳、『きらめきの季節/美麗時光』に出ていた呉雨致、『夢幻部落』に出ていた莫子儀、光良などが出ている。偶像劇だけではなく、こういうのも日本で放送するべきだ。『さらば、龍門客棧』(“不散”)の公開に合わせて、あるいは台流・華流ブームのどさくさにまぎれて、どこかで放送してくれないものだろうか。

日本語訳に関しては、ひとつ大きな不満がある。それは、固有名詞に北京語のルビがついていることだ。これに関しては、解説にも、「場合によれば一人の人名がさまざまに発音される」「地名もそれが当時、何語で発音されていたかはよくわからない」(いずれもp. 392)という言い訳が書かれているが、そうだとしても北京語はないだろう。そもそもこれは客家人の物語であり、清朝統治時代に始まる。どう考えても、ほとんどの固有名詞は客家語のルビがふられるべきだ。この小説の読者で客家語がわかる人はかなり少ないと思うが(わかればルビもいらないしね)、台湾に興味があって台湾へ行ったことのある人にとって(想定読者はそういう層だろう)、客家語は全く馴染みのないものではない。台北捷運(MRT)のアナウンスは、北京語、台湾語客家語、英語である。台灣鐵路のアナウンスは、たしか北京語、台湾語客家語だったと思う。客家語のは、‘各旅客’(北京語から推定)が‘こべりんはー’で(違うかもしれないがそう聞こえる)、何時間か列車に乗っているとすっかり憶えてしまう。台湾映画が好きな人なら、侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督の『童年往事 時の流れ』や、張作驥(チャン・ツォーチ)監督の『きらめきの季節/美麗時光』で客家語を聞くことができる。『童年往事 時の流れ』のおばあさんが主人公を呼ぶ、“アハー”(時おり‘アホウ’と聞こえる)というのがそうだ。文学において、音というのは非常に重要な要素である。もちろん、カタカナでは声調もわからないし、正確な発音を伝えることはできない。だけど、客家語のルビがあれば、多少なりとも読者を、‘アハー’の世界、‘こべりんはー’の世界へ連れて行けるのではないだろうか。

ところで、この小説の一番のサプライズは、大湖(現・苗栗縣大湖郷)と銅鑼(現・苗栗縣銅鑼郷)が出てくることである。大湖は、侯孝賢監督の映画、『冬冬の夏休み』(ロケ地情報)、『童年往事 時の流れ』(ロケ地情報)、『悲情城市』(ロケ地情報)のロケ地である。銅鑼は、『冬冬の夏休み』の舞台・ロケ地であり、『童年往事 時の流れ』のロケ地でもある。『寒夜』では、大湖は、蕃仔林から一番近い町であり、主に「大湖街」と書かれている。銅鑼は、阿漢の生まれ故郷であり、主に「銅鑼湾」と書かれている。どちらも、観光ガイドブック等に載るような町ではなく、これまでほとんど情報がなかっただけに、非常に興味深い。下の引用からもわかるように、日本との因縁も深い。

以下、『寒夜』から、大湖、銅鑼の説明部分を引用しておく。

 大湖は一八一七年、すなわち清の嘉慶二十二年に泉州人の陳阿輝が先住民と協定を結んだことで、陳氏とその一族四十五人が水尾坪に土塁を築き、開墾をはじめた。これが漢人の大湖における入墾のはじまりである。(p. 19)

 ちょうどこの頃、日本政府は苗栗を台湾県(台中)とし、児玉源太郎を知事代理に任命して苗栗に支庁を、また各街や村に役人を置いた。
 大湖には引きつづき村が設置されたが、役人は赴任したがらなかった。なぜなら、苗栗支庁下の抗日勢力のほとんどが大湖南湖一帯に集中しており、尖筆山の役、頭[イ分]の役、苗栗の役の残党が日本軍の追撃から逃れてここに来ていたのだ。(p. 173)

 銅鑼湾は、中部台湾地区でも客家人が最も早く開拓した村落だった。三方を山に囲まれた盆地で、南北は三叉河と苗栗地区に連なった険しい高地だった。毎年、秋の終わり頃から夏のはじめ頃までは、朝晩、盆地全体に濃い霧がかかった。今年は霧の降りるのが特に早く、また特別に濃かった。村を襲った殺戮と焼き討ちを憂え、雲霧は立ちさることができずにいるのだろうか。……(p. 163)