今日もシネマヴェーラ渋谷へ。ホウ・シャオシエン映画祭三本目は『童年往事 - 時の流れ』(映画生活)。これは侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督の最高傑作であり、私の最も好きな侯孝賢作品であり、かつ私の最も好きな映画である。スクリーンで観るのは三回目。ロードショー公開前に上映された際のフィルムのようで、邦題は『阿孝の世界』となっていた。客の入りはいまいち。
- 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
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映画の舞台は、1954年から1966年くらいの高雄縣鳳山鎭(現・高雄縣鳳山市)。阿孝の父親は公務員で、宿舎として提供された日本家屋に住んでいる。南部の鳳山に住んでいるのは、父親の健康が優れないためだ。彼らは外省人である一方客家でもあり、住んでいるのは眷村でもなければ客家の町でもない。まわりに住む人々のほとんどは、閩南系台湾人だと思われる。家の中では、祖母と両親は主に客家語を話し、子供たちは主に北京語を話しているが、阿孝が近所の子供たちと遊ぶときは台湾語である。映画は、このような典型的台湾人でもなければ典型的外省人でもない、比較的特殊な一家の生活のディテイルを、具体的かつ断片的に描いている。そこには、その時代の台湾社会の記憶が、重層的に結びついている。それは、日常生活の些細なことであったり、雙十馬祖空戰といった政治的なことであったり、台風の通過といった気候風土的なことであったりする。このような重層的な記憶の積み重ねによって、その時代とその場所の空気が見事に表現されている。
また、記憶を再構成することによって表されるのは、記憶に伴う切なさや痛みといった人間の普遍的な感情だ。たとえば、阿孝の家族は三世代が同居しているが、それぞれの世代の大陸への想いは異なる。祖母(唐如韞)は大陸へ帰りたくてたまらず、阿孝に「一緒に大陸へ帰ろう」と口癖のように言う。半分惚けている彼女が帰りたいのは故郷の梅縣であり、彼女の想いは政治的なものとは一切関係がない。帰りたくても帰れないことを知っている両親は、大陸への想いを直接語ることはない。それらはいつも遅れて子供たちに知らされる。父親(田豐)が数年で帰るつもりでいたことを、阿孝たちは彼の死後に知る。姉(萴艾)はまさに家を離れようとするときに、母親(梅芳)の複雑な想いを知る。愚痴も言わずに病弱な父親の世話をしていた母親の口から、父親との結婚を悔いる言葉が聞かれる。比較的裕福な家に生まれて高等教育も受けている彼女は、貧しくて男尊女卑的な父親の家に嫁ぐ。彼女をいじめた姑はついてきたけれど、閉鎖的な客家の町から解放された台湾での暮らしは、彼女にとって喜ばしいものだったようにも思われる。そして阿孝の世代になると、もはや大陸の記憶はなく、大陸はおそらく距離的にも心理的にも遠いところだ。
異なる世代の異なる想いは、共有することも継承することも不可能である。記憶が痛みを伴うのは、それがもはや取り戻せないからでもやり直すことができないからでもない。たとえば祖母の想いをもっとわかってあげればよかったと思っても、本当にはわかってあげることなどできないことを私たちは知っている。たとえやり直すことができたとしても、やはり自分のことが一番大事であり、結局は祖母や両親をあまり気づかってはあげられないだろう。だからといって、自分のやってきたことは間違っていなかった、しかたのないことだったと、開き直って忘れることもまたできない。後悔したくてもできなくて、諦めたくても諦められなくて、忘れたくても忘れられない。阿孝の最後のモノローグ、「今でも、度々思い出すのだが、祖母の大陸へ帰る道は、私と歩いたあの道なのか……、一緒に青ザクロをとったあの道なのかと」(公開時のプログラム[O1-30]より引用)には、そんな想いが込められている。阿孝はこのあともずっと、繰り返しこのように問いかけ続けるのだろう。以前、この映画をヴィデオで観ていて、このモノローグに号泣してしまったことがある。こんなところ(映画館)で号泣してしまってはたまらないので、今日はこのモノローグが深層に入り込まないように、不本意ながら心を閉じて観た。
今回フィルムで観ることができて、最も心を打たれたのは、草や木が風に揺れるさまだ。この映画ではいつも風が吹いていて、木や草はいつもかなり激しく揺らいでいる。そのさわさわさわという感じがただもうすばらしく、木が揺れるたびに空気が揺れて、五〜六十代の鳳山の空気がそのままこちらに伝わってくる。それだけで涙が出てしまいそうなくらいだった。キャメラはもちろん李屏賓(リー・ピンビン)。
スタイル的には、フィックスとロングショットの印象が強かった本作だが、あらためて観るとキャメラはけっこう動いていて、アップもけっこうあった。内容的にはかなり淡々とした印象だったが、号泣シーンが何度もあった。この後どんどん、出来事の決定的瞬間を回避するようになる侯孝賢だが、この映画の父親の死の場面では、中心的な部分が時間をかけて描かれていた。父親の死が突然であり、阿孝にとって初めての身近な死であったということで、決定的な瞬間が強く記憶されていたのだろう。
ところで侯孝賢のフィルモグラフィーでは、『風櫃の少年』『冬冬の夏休み』『童年往事 - 時の流れ』『恋恋風塵』がワンセット、『悲情城市』『戯夢人生』『好男好女』がワンセットにされることが多い。しかしそれは間違っていると思う。『童年往事 - 時の流れ』と『悲情城市』こそが、最も近く、ひとつに括られるべき映画群である(『冬冬の夏休み』『風櫃の少年』『恋恋風塵』を括ることには異存はない)。