実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『フラワーズ・オブ・シャンハイ(海上花)』(侯孝賢)[C1998-06]

昼食後の二本目は『フラワーズ・オブ・シャンハイ』(映画生活)。“最好的時光”(『百年恋歌』)の“自由夢”(第二話)があまりにもすばらしかったため、『フラワーズ・オブ・シャンハイ』を観直さなければと思っていたところ。スクリーンで観るのは二回目。スクリーン以外では全く観ておらず、私が最も少なく観た侯孝賢(ホウ・シャオシェン)映画ということになる。今回は少しだけ長いカンヌ上映ヴァージョン。そのためなのか上映後のトークショーのためなのか、立ち見も出るほどの大盛況。暑くて死にそう。

この映画は、清朝末期の上海の遊郭を舞台に、大金を使っても女性の心を得ることのできない憂鬱な梁朝偉(トニー・レオン)を中心に据えつつ、遊郭の雰囲気とそこでの高級娼婦たちの人間模様を描いたものである。いつも鬱々として楽しまずという感じの梁朝偉がよい。彼は、本来のイメージとは異なる役を演じるときのほうが魅力的で、そういう意味で『ブエノスアイレス』『ロンゲストナイト』と並んでベスト3に入ると思う。女優陣では、李嘉欣(ミッシェル・リー)と劉嘉玲(カリーナ・ラウ)の貫禄に圧倒された。特に李嘉欣はこれがベストではないだろうか。前回は「奥山が羽田美智子なんか押しつけやがって」と思っていたので、はじめから「羽田美智子=悪」という先入観で観たが、今回は何も考えずに観たら、羽田美智子も悪くなかった。もちろん吹き替えはすごく気になったが、実物よりきれいで艶やかだった。画面では確認できていないが、クレジットによると『狂放』の許安安(シュー・アンアン)も出ている(最近は、ドラマ“白色巨塔”の、と言ったほうがいいか)。同姓同名かと思ったが、どうやら本物らしい。

遊廓の女性の生活を、日常の断片の積み重ねで描いているのがおもしろい。室内のみ、しかもほとんどが夜というチャレンジングな映画で、李屏賓(リー・ピンビン)のキャメラのゆったりした動きや、ランプや火に魅了される(でもやっぱり昼のシーンのほうがいいんだよね)。ただこの雰囲気のなかに、身を浸していればいいのかもしれない。だけどどこか物足りない。観る側の知識の問題もあるだろうが、時代の空気のようなものが描けていないといえばいいだろうか。“最好的時光”の“自由夢”とは、舞台設定は似ているがいろいろな点で異なる。一番異なるのは、“自由夢”では、身づくろいをしたりお茶を飲んだりといった舒淇(スー・チー)や張震(チャン・チェン)の日常的な動作に魅了されたという点だ。『フラワーズ・オブ・シャンハイ』で試みたものが侯孝賢の世界で実を結んだのが“最好的時光”の“自由夢”だといえるのではないか。

最後にひとこと文句を言いたいのは、日本語字幕の人名がカタカナであることだ。中国人の人名は、すべて漢字あるいは漢字とカタカナ(または拼音)併記にすべきというのが私の基本的な主張だが、それはとりあえず措いて、ここでは映画字幕についてのみ言わせてもらう。漢字は、イメージのように記憶できるので、ぱっと見て頭に入れなければならない字幕には向いている。これに関しては、きっと調べれば認知科学的な研究があるはずだ。やはり漢字の使用を訴えているマダム・チャンさんの[マダム・チャンの日記]「 もっと漢字を!」(思わずブックマークしちゃいました)によれば、配給会社がカタカナを望むらしいのだが、配給会社は思い込みではなく実証実験でもしてから言ってもらいたい。ついでにいえば、カタカナ表記より短くなる点も字幕向きだ。遊女の名前というのはその人のイメージを表すうえで重要だと思うし、そのイメージの大半は漢字によって決まる。『フラワーズ・オブ・シャンハイ』の主な登場人物の場合、小紅、翆鳳、雙珠といった具合だ。だいたい台詞は上海語なのに、北京語読みの字幕をつけても意味がない。そのうえ、彼女たちの名前は最初に漢字のタイトルが出るので、カタカナが出てくるたびに頭の中で漢字に変換していたら字幕が読めなくて不便なことこのうえなかった。

上映後、出演者の羽田美智子氏、プロデューサーの市山尚三氏、映画評論家の宇田川幸洋氏によるトークショーがあった。適当にしゃべっている感じのかなりゆるいトークだったが、けっこうおもしろかった。詳細はのちほど。
(『好男好女』『フラワーズ・オブ・シャンハイ』はこれ↓に入っています。)

侯孝賢 傑作選 DVD-BOX 90年代+「珈琲時光」篇

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