実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『シテール島への船出(Ταθιδι Στα Κγθηρα)』(Theo Angelopoulos)[C1984-10]

強風のため、朝から電車が乱れているようだったので、予定より早く家を出る。「今度の下りが逗子で折り返してくるのが今度の上りになります」というので下りに乗ったら、逗子では「上りは、お隣のホーム、1番線の電車が先に出発します」。アナウンスに翻弄され、ホームを走らされ、駆け込み乗車させられ、ひどい目に遭ったものの、なんとか席も確保。もともとの予定の10分遅れくらいで渋谷に到着でき、マークシティのジャン・フランソワで昼ごはん。今日は違うものを食べようと思いつつ、いつものようにフレンチトースト。今日もユーロスペース(公式)のテオ・アンゲロプロス特集で、『シテール島への船出』を再見する。

↑だからバラで出してってば。

『シテール島への船出』は、14年前の公開時にはいまひとつのれなかったというか、けっこう寝てしまってあまり印象に残っておらず、いつか観直したいと思っていた映画。本当は、同じ時間の『東京上空いらっしゃいませ』[C1990-03](@神保町シアター)のほうを観直したいと思いつつ、両方うちで観直せるので、より苦痛なほうをスクリーンで観るべきだと思ってユーロスペースに来た。しかし観てみたら苦痛なんて全くなく、すごくよかったので、強風のなか来た甲斐があった。

舞台は現代(1980年代初め)のギリシャ。新作を準備中の映画監督アレクサンドロス(ジュリオ・ブロージ)が主演俳優のオーディションをしているシーンから、撮られるべき映画へとつながっていき、たまに現実世界へ戻りつつ、劇中劇をメインに進んでいく。劇中劇は、32年前にソ連に亡命したスピロ(マノス・カトラキス)が帰国し、家族やかつての仲間と再会する話。いちおうの民主化はなされたが、故郷の山のスキー・リゾート化計画によって端的に表されているように、そこはすでに金が第一の社会になっている。妻のカテリーナ(ドーラ・ヴァラナキ)は32年間彼を待ち続けてきたが、母の苦労を見てきた娘は父に批判的だ。この劇中劇は、スピロがギリシャ社会に自分の居場所を見つけることができない話であると同時に、スピロとカテリーナが32年の空白ののちにお互いを取り戻す話でもある。

新作を撮ろうとしているアレクサンドロスの物語と、彼が撮ろうとしている映画の中の物語。『シテール島への船出』には、このほかに語られていないもうひとつの物語が存在する。それは、この劇中劇のモデルとなっているはずの物語である。アレクサンドロスがスピロの息子役として実名で出演し、現実の彼が息子にスピロと名づけていることから考えて、この劇中劇は彼自身の家族、彼の両親をモデルにした、自伝的な物語であると考えられる。劇中劇の結末は、あくまでも映画としての結末であるはずで、だとすれば現実の彼の父親は結局どうなったのだろうか。それはもちろんこの映画からはわからないが、そのことがずっと気になり続ける。

ギリシャのタクシーも黄色なのに気づいて狂喜乱舞したせいか、この映画からも台湾を連想した。離散家族とふたつの家庭、民主化後の幻滅など、やはり台湾と共通するテーマが多い。観ながら思い出していたのは特にふたりの映画作家侯孝賢(ホウ・シャオシェン)と萬仁(ワン・レン)である。

先日、『旅芸人の記録[C1975-01]を観て『悲情城市[C1989-13]を連想した。そのあとにこの『シテール島への船出』を観ると、どうしても『好男好女』[C1995-11]を連想せずにはいられない。劇中劇というだけではなく、どちらもまだ演じられていない、想像のなかの映画/演劇であるという点も共通する。実際に侯孝賢監督がアンゲロプロスの影響を受けたのかどうかは全く知らないが、もしかしたら自国の現代史を描くという試み自体、影響があったのではないかとすら思ってしまう。

萬仁については、まずスピロがかつての同志たちの墓を訪ねるシーンで、『超級大国民』[C1995-14]のクライマックスシーンを思い出した。ストーリーは全く違うけれども、政治犯の家族の苦労といった類似点もある。よくできた映画というわけではないが、『超級大国民』がすごく観たくなってしまった(おそらく台湾でもDVD化されておらず、観る手段がない)。

かつての政治活動家が、民主化した自国に居場所を見つけられないというテーマは、『超級公民』[C1998-10]と共通するところがあると思う。今日初めてそう感じたつもりだったのに、自分が書いた『超級公民』の感想を読んでみたら、アンゲロプロスに言及していてびっくり。やはり感想は書いておくものである。

舞台が現代であることと、たぶん音楽のせいで、『旅芸人の記録』のような土着的な雰囲気は幾分うすれているが、あいかわらずダークなトーンの映像が美しい。特に、劇中劇の終盤の舞台になる港のたたずまいがすばらしかった。字幕では「旧港」としか書かれていないが、あれはピレウス旧港だろうか。一軒しかないがらんとしたカフェもいいし、もちろん、スピロとカテリーナがどこへともなく流されていくラストシーンは、映画史に残る名シーンだろう。ちなみに、タイトルになっているシテール島とは、ペロポネソス半島クレタ島の間にあるキュテラ島のことだそうだ。

古代ギリシャの遺跡などにはあまり興味がなく、これまでギリシャを旅行対象として考えたことはなかったが、『旅芸人の記録』、『シテール島への船出』と連続して観て、ロケ地探訪欲を激しくそそられた。情報収集がかなり大変そうだし、見たいところが残っているかどうかも心配だが、そのうち行ってみたいものである。

アンゲロプロスはもっと観直したかったが、ヨーロッパ映画三昧な日々はたぶんこれでおしまい(次の特集はオリヴェイラ…。行くべきか?)。中華映画も当面ないので、しばらく古い日本映画に戻る予定である。