実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『タイペイ・ストーリー(青梅竹馬)』(楊徳昌)[C1985-52]

朝から六本木へ。東京国際映画祭二日目は一日中六本木ヒルズの予定だ。今日の1本目、映画祭4本目は、アジアの風の『タイペイ・ストーリー』。楊徳昌(エドワード・ヤン)追悼上映の一本で、唯一の未見の楊徳昌映画。観られる機会の少なさを考慮に入れれば、おそらく今年の映画祭一の目玉だろう。

上映前に蓮實重彦氏のトークショー楊徳昌はハスミ系シネフィルにおおぼえめでたい映画作家だが、ハスミ系シネフィルの人たちは東京国際映画祭を馬鹿にしていて来ないので、今日の観客の中華映画ファンとハスミ系シネフィルの比率はよくわからない。トークの内容は楊徳昌監督の思い出話で、おもしろいことはおもしろかったけれど『タイペイ・ストーリー』への言及はゼロ。奥さんやお子さんやお兄さん夫婦やおかあさんにまで会ったことがあるという話だったが、肝心の『タイペイ・ストーリー』の主演、元奥さんの蔡琴(ツァイ・チン)に会ったことがあるかどうかの話もなし。

最後に楊徳昌の在りし日の姿ということで、侯孝賢(ホウ・シャオシェン)の『冬冬の夏休み』[C1984-35]のラストシーンが上映された。侯孝賢が主演している楊徳昌作品の前に、楊徳昌が出演している侯孝賢作品をかけるというのは、なかなか心憎い趣向である。しかし何度も見ている『冬冬の夏休み』の楊徳昌に特に感慨はなく、それよりも『冬冬の夏休み』のラストショットのあまりのすばらしさにしばし陶酔してしまった。

映画は、侯孝賢と蔡琴を中心に、これに呉念眞(ウー・ニエンジェン)や柯素雲(コ・スーユィン)を加えて、30代くらいになった幼なじみたちを描いたもの。一度は社会に出て、働いたり海外へ行ったり結婚したりしてみたものの、なんとなくまだ進む道が決まらないというか、ふたたび迷いはじめているような、そんな年代の有り様がリアルに描かれている。邦題の『タイペイ・ストーリー』は英題からとったものだが、原題の“青梅竹馬”を訳した『幼なじみ』のほうがいいと思う。楊徳昌の映画なんて、すべてタイペイ・ストーリーなわけだから。

蔡琴は、(たぶん)東區のオフィスで働き、キャリアウーマンとして活躍してマンションも手に入れ、おしゃれな部屋に流行の洋服…といった暮らしをしている。一方、幼なじみの恋人である侯孝賢は、少年野球で活躍した過去の栄光が忘れられず、いまだに地に足のつかない生活をしている。彼らが育ったのは、台北のなかでも古い街として知られる迪化街のあたり。そこを捨てて東區的な生活を送っているが、どこかで過去を捨てられずにいる蔡琴が、職を失ったのをきっかけに、迷い、ゆらぎ、ふたりがすれ違っていくさまが描かれている。蔡琴が、おそらく高い教育を受けているにもかかわらず、アメリカへの移住や結婚によって新しい自分が得られると単純に信じているのに対して、侯孝賢は移住も結婚も決してゴールではないことを知っている。わかっているだけに一歩を踏み出せないみたいなところが、なかなかリアルでよくわかる。

蔡琴を取り巻く男性として、侯孝賢のほかにもうひとり、会社の同僚である柯一正(コ・イーチョン)が配されている。侯孝賢が古い台北やもはや取り戻せない幼年時代の輝きのようなものを表しているとしたら、柯一正は東區的な新しい豊かな生活を象徴している。ヒロインを取り巻く二人の男性に侯孝賢と柯一正というのは、舒蒞(シュウ・ケイ)の『ソウル』[C1986-V]と同じ。『ソウル』は1986年だから、舒蒞はこの映画にかなり影響されてキャスティングをしたのだろう。侯孝賢が過去の輝きを、柯一正が現在の豊かな暮らしを表しているという点もほぼ同じだ。

出演者は、プロの俳優ではない人が多くを占めているが、どちらにしてもびっくりするほどわかる人ばかり。侯孝賢は、『風櫃の少年』[C1983-33]でも『ソウル』でも見ているから想定の範囲内だったが、驚いたのは呉念眞。若いっ。ほかの作品では彼がティーチ・インに来るらしいが、これにこそ来るべきではないか。この映画では脇役だった呉念眞と柯素雲が、15年後に『ヤンヤン 夏の想い出』[C2000-03]で主要な役を演じているのも興味深い。

楊徳昌の映画としては珍しく、古い台北が出てくるのが印象的。迪化街の中華バロック建築の細部が何度か大写しになる。侯孝賢が帰るときに通る人気のないカーブや、繰り返し映し出される富士フイルムのネオンも印象に残る。富士フイルム東京国際映画祭に協賛しているが、これだけ写してもらえればお金を出した甲斐もあろう。