実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『婚礼の前に(Sunduk Predkov)』(Nurbek Egen)[C2006-37]

セガフレードで急いでパニーニを食べる。今日の2本目、映画祭5本目は、アジアの風の『婚礼の前に』。Nurbek Egen(ヌルベク・エゲン)監督のキルギス映画。キルギスの映画監督といえばAktan Abdikalykov(アクタン・アブディカリコフ)。すごく好きな監督だが、この東京のコンペに出していた『旅立ちの汽笛』[C2001-05]のあと、噂を聞かない。ぜひ新作を撮ってほしいものである。

映画は、フランスに留学してそのまま留まっているキルギスの男性が、フランス人のフィアンセを連れて帰郷することによる騒動を描いたもの。監督がフランス留学をした人なのかと思って観ていたが、留学したのはロシアで、フランス人を出したのはフランス映画への憧れからということらしい。主人公を演じるBolot Tentimyshov(ボロト・テンティムショフ)が、キルギス人というよりGerard Depardieu(ジェラール・ドパルデュー)みたいだったのでちょっと引いた。

とりあえずおもしろく観られる映画だが、伝統のままに暮らしているようなキルギスの村や、主人公と家族の関係に、いまひとつリアリティが感じられない。まず気になるのは、ここにはソ連の痕跡がほとんど感じられないこと。薬局のおばさんだけはロシア人のようだったが、ほかにはロシア系住民もいなさそうである。社会主義のもとでは、封建的な慣習はよくないものとされたと思うのだが、そういう時期を経ているようにも見えない。また、ロシアという基本的にはヨーロッパの国と一緒になることで、近代化や西洋化がある程度もたらされなかったのか、というのも疑問だった。

このような伝統的な村に育った主人公が、パリに留学するということはよほどのことで、実現するまでにはかなりの葛藤があったと想像される。パリにいる主人公が、家族と頻繁に連絡を取ったり帰省したりしていなさそうなところからも、それは感じられる。ところが、いったん帰省したあとの家族と彼とのあいだには、そのような過去のわだかまりがいまひとつ感じられない。すでにパリに生活の拠点を築いているのだから、仮に地元の女性と結婚したとしても、故郷に帰って暮らかどうかはまた別問題である。そこにはまず、仕事をどうするかといった現実的な問題があるはずだ。それなのに、彼と両親や親戚とのあいだの葛藤は、一族をめぐる伝説だとか、あるいは家で孫の世話をしたいとか、抽象的なことや非現実的なことばかりだ。そのあたりが、すべてを映画のための設定に感じさせてしまう。

フィアンセを演じるNatacha Regnier(ナターシャ・レニエ)を好きになる、主人公の弟(?)の男の子の眼力がすごかった。あれは地なのだろうか。尋常ではない存在感である。それから、中央アジアには海がないと思っていたら海が出てきてびっくりした。あれはイシク・クリ湖なんだろうか。

上映終了後、監督とロシアのプロデューサー、エヴゲーニヤ・チルダートワ氏のティーチ・インがあった。「録音はご遠慮ください」ってなにそれ。