実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『秘密のかけら(Where the Truth Lies)』(Atom Egoyan)

やっと今年初めての映画を観る。初映画が2月なんて前代未聞、と思ったら、去年よりは早かった(去年は2月11日)。観たのはアトム・エゴヤン監督の新作『秘密のかけら』。前にも書いたように、アトム・エゴヤンは新作をチェックすべき数少ない西洋の監督である(と言いつつ『アララトの聖母』は見逃した)。

映画は、15年前のある事件、すなわちラニー(ケヴィン・ベーコン)とヴィンス(コリン・ファース)という人気デュオの部屋で女性の死体が見つかり、それがきっかけでふたりが解散したという事件の謎を、ジャーナリストのカレン(アリソン・ローマン)が解いていくというサスペンス。ラニーが真実として語ること、ヴィンスが真実として語ること、ラニーが真実だと思っていること、ヴィンスが真実だと思っていること、そして本当の真実、それぞれの間にはずれがあり、そこから次第に真実が明らかになっていく。サスペンスとしても面白かったが、これはサスペンスの形をとった人間ドラマである。真相がわかっても解消されない重苦しさ、やり切れなさがよい。

ところで、この映画を観た理由はアトム・エゴヤンだけではない。主演のひとりがコリン・ファースだというのがもうひとつの理由だ。コリン・ファースといえば『アナザー・カントリー』。20年も前の映画だし、映画史に残る傑作でもないので、現在どのくらい知られているのかよくわからないが、美青年系ゲイ映画ブームのさきがけとなった映画である。一般にはルパート・エヴェレットが注目されたが、趣味のよい人たちに注目されて(勝手な解釈)静かなブームとなったのがコリン・ファースだった。2週間ほど前(『秘密のかけら』は本当は2週間前に観るはずだった)、ちょうどスカパーで放送された『アナザー・カントリー』のDVD-Rが、これ見よがしに机の上に置かれていたので、予習と称してちょっとだけ観た。当時のコリン・ファースがいかに美青年だったかを確認するのが目的で、実際確認したのだけれど、同時に気づいたのは、私はもはや西洋人にはときめかなくなったという事実である。今では「アナカン」(当時そのように省略されていた)より「アラカン」だ(アラカンにもときめかないけどね)。

現在のコリン・ファースが20年前のような美青年でないことは(『ひと月の夏』までは美青年だったのだが)、予告篇で確認済みだったが、本篇を観てあらためて、特に美男でもなく渋くもない、ただの中年男であることを確認した(近年コリン・ファースはけっこういろいろな映画に出ていて、それなりに人気もあるようだが、それらの映画は私のアンテナに引っかからなかったためよく知らない)。いい役者だと思うのでこれからもがんばってほしいが、コリン・ファースが出ているというだけの理由で出演作を観ることはないだろう。美男俳優でうまく老けられる人は本当に少ない。