丸ビルのコンランショップを覗いたり、赤のれんで夕食を食べたりして、東京国際フォーラムへ。いよいよ東京フィルメックスが始まる。審査委員長のアボルファズル・ジャリリ監督の挨拶もなかなかユーモラスで、エラいひとの無用な挨拶もないコンパクトなオープニング・セレモニーは、どこかの国際映画祭と違って好感がもてる。
引き続き、侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督の新作、『スリー・タイムズ』を観る。異なる時代の異なるカップルを、舒淇(スー・チー)と張震(チャン・チェン)が演じる三部構成の映画。すべてに共通して、手紙と音楽が効果的に使われている。この作品で金馬奨の主演女優賞を獲得した舒淇は、身のこなしとか立ち姿といった、身体感覚みたいなものがすばらしい。そして、『春の雪』ではいまいち本領発揮させてもらえていないという印象だった李屏賓のキャメラは、もちろん本領発揮して魅力全開だ。
一話めの“戀愛夢”は1966年の物語。最初の舞台は高雄、しかも旗津のビリヤード場。言うまでもなく『風櫃の少年』の舞台だが、先日『深海』でも観たばかりなのでちょっとびっくり。まだ出会わぬ舒淇と張震が乗った舟がすれ違うところや、店の奥から撮られたビリヤード場のたたずまいがよい。張震が舒淇を探して高雄→嘉義→新營→虎尾と移動していくロードムーヴィーでもあって、地名の書かれた標識が次々に現れては消えていく移動のシーンもすばらしかった。再会した二人が顔を見合わせて、ちょっとぎこちなく声を立てて笑うのもいい。ラストシーンのバス・ターミナルは実際に虎尾で撮っているのかどうかわからないが、大湖のバス・ターミナル(『童年往事 時の流れ』に出てくる)を彷彿させるところだった。
二話めの“自由夢”は、1911年の大稲[土呈]の妓楼が舞台。日本の植民地となって17年目、しかし少なくとも見た目は、非常に台湾的、あるいは清朝的な世界である。1911年や大稲[土呈]もそうだが、たくさん出てくる固有表現にそれぞれ意味があり、三話の中で最も背景知識を要する。と同時に、日本の統治からの自由と芸妓の身分からの自由というふたつの‘自由夢’が交錯し、すれ違うというテーマは一番わかりやすい。舒淇が物思いにふけりながらハンカチ(?)をもて遊んだり、張震が手を洗ったりお茶を飲んだりといった日常的な動作が、小物をうまく生かしつつ繰り返し描かれ、ふたりの関係や舒淇の心情が巧みに表現されている。一方でふたりの会話はかなり饒舌だ。サイレント形式にしたのは、当時の古い言い回しを練習する時間がなかったため、と監督は言っていたが、そればかりではないと思う。中味が濃いというか、意味を担った言葉の多い台詞は、そのまま口に出すとおそらく不自然であり、そういうところがいかにもサイレントらしく作られている。日清戦争に始まって現在にいたるまで続く中国、台湾、日本の三角関係みたいなものが、物語の背景としてみられるのも興味深い。
三話めの“青春夢”は2005年の物語。字幕に‘台北’と出るが、舞台は台北市と三重市で、ここでの‘台北’はいわゆる台北都市圏を指していると思われる。1911年の舞台は‘台北’とはいわず‘大稲[土呈]’であり、2005年の舞台は三重とはいわず台北であるというところが、100年の間の都市のあり方の変化を表しているようで興味深い。このパートは、張震がバイクで走る、台北と三重を結ぶ橋などが印象的だけれど、他の二話に比べるとちょっと印象がうすい。
ところで、公式カタログにはこの映画の言語がMandarinだと書いてある。“戀愛夢”がほとんど台湾語だったことからもこれはどうかと思う。東京国際映画祭のようにChineseとまとめてしまうのも問題だが、Mandarinと書いたのでは嘘になる。また、舒淇が演じる秀美という女性の名前が、台湾語で呼ばれているのにもかかわらず、日本語字幕で北京語読みのルビがついていたのにも首をかしげた。