実録 亞細亞とキネマと旅鴉

サイトやFlickrの更新情報、映画や本の感想(ネタばれあり)、日記(Twitter/Instagramまとめ)などを書いています。

『浄化槽の貴婦人(Ang Babae Sa Septic Tank)』(Marlon N. Rivera)[C2011-14]

TOHOシネマズ六本木ヒルズで、マーロン・N・リベラ監督の『浄化槽の貴婦人』(東京国際映画祭)を観る。第24回東京国際映画祭のアジアの風部門フィリピン最前線〜シネマラヤの熱い風の一本。

マニラを舞台に、映画製作の理想と現実を描いたコメディ。新進の映画監督と仲間二人が、スラムに住む母子家庭を描いた低予算インディーズ映画を撮るために奮闘する話。

映画はいきなり映画中映画で始まるが、これは計画中の映画のクライマックスシーン。このシーンがこの映画のなかで3回(部分的にはもっと)、いろいろなバージョンで繰り返されるのがおもしろい。冒頭のは監督が考えているもので、いわば理想形。二度めはスタッフの女の子が空想するミュージカルバージョン。三度めは主演を引き受けてくれることになった大女優、ユージン・ドミンゴが提案するバージョン。当然だんだん悪くなる。

彼らが直面する壁は、大きくふたつある。ひとつめは、彼らが世間知らずのお坊ちゃんで、自分の生活には困っていないこと。映画の予算は少ないし、スラムを描こうとしてはいるけれど、いい部屋に住んでいい車に乗ってスタバにたむろして、おそらくスラムに近づいたこともない。だから、ロケハンに行って治安のいい地域と同じ調子で駐車して、初めて見るスラムのフォトジェニックな風景に狂喜乱舞しているあいだに車をボコボコにされ、激しく打ちのめされる。

もうひとつは、大女優に出てもらうこととひきかえにもたらされる苦難。彼女は最初インディーズに理解を示すが、だんだん自分の意見を主張し、要求もエスカレートする。彼女が提案した、ヒロインのモノローグ入りバージョンは俗っぽいお涙頂戴映画。浄化槽につかるシーンの演技では代役を要求する。

しかし彼らのエラいところは、そこでくじけないくらい映画を作る情熱があって、楽天的なこと。撮りはじめてしまえばどうにかなると、スラムでの撮影を開始する。僥倖のように偶然もたらされるハッピーエンドは、そんな彼らへのご褒美かな。

撮ろうとしている映画は、貧しさのあまり、母親が白人のエロじじいに子供を売る話なのだが、最初女の子だったのを男の子に変えるところがやっぱりフィリピン映画なのであった。

ユージン・ドミンゴは実際に有名なコメディ女優だそうで、本人役で出演。監督役のキーン・シプリアーノはなかなかのイケメンだった。