実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『ブリスフリー・ユアーズ(สุดเสน่หา)』(Apichatpong Weerasethakul)[C2002-44]

二本めは、アピチャッポン・ウィーラセタクン監督の『ブリスフリー・ユアーズ』。この監督の映画は、共同監督の『アイアン・プッシーの大冒険』[C2003-05]しか観ておらず、ほとんどはじめてのようなもの。タイ映画にはあまり興味がないというか、そこまで手が(クビが)回らないというのが実情だが、フィルメックスに何度も登場したり、受賞もしたり、なにかと話題になっている監督なので、ここらで一本観てみることにした。ちなみにこちらはけっこう混んでいた。

ミャンマー人たちが森のなかでどうのこうのという紹介文を何度か見たので、幻想的な映画なのかと危惧していたが、きわめて現実的な雰囲気で映画ははじまる。たしかにミャンマー人らしき人は出てくるが一人だけだし、森とも関係がない。…と思っていると、忘れたころにクレジットタイトルが出て、オープニング(なのか?)の音楽は“So Nice”のタイ語(だよね?)ヴァージョン。心地よくボサノヴァ気分になったところで舞台は森に。

このあたりからドラマはどんどんなくなっていき、「森で過ごすある晴れた午後のドキュメンタリー」といったおもむきになる。舞台が森へ移っても、最初はドラマティックに展開しそうな気配をはらんでいるのだけれども、だんだんそれもなくなっていき、何かを語るためというより、行為や現象そのものを見せているような感じになっていく。

実は、ちょうどクレジットタイトルが出るころから、トイレにいきたくなってしまったのである。しかし、わたしのトイレいきたい度の高まりと反比例するように、ドラマはどんどん希薄になっていく。したがって、我(トイレ)を忘れてのめりこむというわけにはいかないのだが、わたしの集中度合いはいやがうえにも高まる。その結果、ミャンマー人男子ミンの○○○が××するところやら、タイ人女子ルンがまさに眠らんとしてまどろんでいるところやら、タイ人おばさんオーンの熟れた肉体(ものは言いよう)やらを、食い入るように見つめることになった。

全体的な展開がほとんど読めないため、あとどのくらいあるのか計りづらかったが、「このあたりで終わるな」というのはわかって、実際ストーリー的にはそのまま終わったのだけれど、ほんとうに終わるまでにはけっこう長い時間が経過した。終わったときには「ああ、やっと終わった」と思ったのだけれども、同時に、もっとずっとこの森の中にいたかったなあとも思う。森の光景や空気がリアルに心に残り続け、自分も森の中で濃密な時間を過ごしたような気分。ミンが「ルンは残業させられてたいへんだから、森に避暑に連れ出してあげるんだ」みたいなことを言っていたが、わたしたち観客も森に避暑に連れ出してもらったような、そんな映画。

そんなわけで、とにかく無事に本篇は終わったが、すべて終わって明るくなるまで席を立たない主義である。したがって、エンディングクレジットも食い入るように見る。しかしこれはタイ映画。クレジットは基本的にタイ文字で、食い入るように見たところで読めない…。でも、一部タイ文字ではないところもあって、市山さんや許鞍華(アン・ホイ)監督に謝辞が捧げられているのはわかった。トイレとか空腹とかいうものは、「もうあとちょっとだ」とわかったところからが苦しいが、どうにか無事に映画館を出る。

常識的にストーリーを追えば疑問の多い映画だが、最後まで観ればたいていのことは気にならなくなる。ただ一点よくわからないのは、オーンが乳液やクリームに刻んだ野菜を混ぜるところ。そのクリームをミンの湿疹に塗りながら、「野菜が沈んでいるからよく混ぜて」と言うと、ルンが「野菜は入っていないほうがいいと思うわ」と答えるのだけれど、わたしはここで深く頷いて、「わたしもそう思う」と心の中で叫んだのであった。