実録 亞細亞とキネマと旅鴉

サイトやFlickrの更新情報、映画や本の感想(ネタばれあり)、日記(Twitter/Instagramまとめ)などを書いています。

『アイ・カム・ウィズ・ザ・レイン(I Come with the Rain)』(Tran Anh Hung)[C2009-03]

超久しぶりの週末映画。わたしが1週間前に属していた世界では、新宿武蔵野館での『アイ・カム・ウィズ・ザ・レイン』(公式)の上映は9:30からだった。だから早起きして9時ごろ新宿にやってきたのに、いつのまにか10:50から上映される200Q年の世界に移行していた。しかたがないので、セガフレードでお茶したり、花園神社を散歩したりする。

時間になって新宿武蔵野館へ行くと、ロビーは高齢者だらけである。キムタク目当ての人が来るものだとばかり思っていたわたしは、「キムタクのファン層ってこんなだったのか」と頭の中がクエスチョンマークでいっぱいになったが、実はみんな李炳憲(イ・ビョンホン)目当てなのだった。

ところでわたしは、トラン・アン・ユンがこんな映画を作っているなんて、公開日の1週間前くらいまで知らなかった。そういえば、トラン・アン・ユンの映画に余文樂(ショーン・ユー)が出るという話は聞いたことがあったけれど、ヴェトナム人のなかに余文樂が混じっているのだと思っていた。まさかこんなものだったとは。

余文樂はいいのだが、彼は主演ではなく、残念ながら途中から出なくなってしまう。主演は、ジョシュ・ハートネット木村拓哉李炳憲。とりあえず誰にも興味がないし、限りなくマーケットの臭いがする。ヒロインがいつものとおりトラン・ヌー・イェン・ケーなのはブレていなくていいけれど。

観た感想は、悪くはないけれど、トラン・アン・ユンの新作として期待するレベルにははるかに及ばない。苦痛も宗教も嫌いということもあるけれど、いまひとつ堪能できなかった理由は、大きく三つあると思う。

第一に、トラン・アン・ユンといえばまずは映像美の作家なわけだが、今回は映像があまり魅力的ではなかった。ちなみに、どこを探しても撮影が誰なのかわからない。フィリピンと香港が舞台、それに雨とくれば、いやでも『欲望の翼[C1990-36]を連想する。でもこの映画には、湿った空気感のようなものが感じられなかった。路地とかごちゃごちゃしたところも出てこないので、石井輝男の香港ロケ二本立てを観た直後ではいやでも見劣りしてしまう。

第二に、みんなが英語を話しているのがヘン。主要な人物は香港においては外国人だから、英語を話していてもいちおうは納得がいく。でも李炳憲の組織は韓国人ヤクザのようだから、身内でもずっと英語で話しているのはヘンだし、そもそもなんで英語を話すのかも不思議だ。フィリピンと香港という舞台も、その場所の魅力というより、登場人物が英語で話していておかしくないという理由だけで選ばれているようにも思える。

第三に、主演の三人に全然魅力がない。趣味の悪いシャツに圧倒される李炳憲がいちばんマシ。キムタクはやっぱりテレビの人だと思うし、あの役ならオダギリジョーのほうがいいと思うが、でもそれだと『PLASTIC CITY プラスティック・シティ』[C2008-21]とかぶってしまう。別に日本人である必要はないから、台湾人とか中国人にすればいいのに。

映画が終わると、近くにいた観客最高齢に近い女性二人組曰く、「なんだかよくわからない映画だったわね。でもビョンホンさんすてきね」。ああ、そうですか。トイレに行くと、前に並んでいた観客最年少に近い女性二人組がキャハキャハ笑っている。何がそんなにおもしろいのかと思って聞いていると、どうやら「あまりに見どころがなくてもう笑うしかない」ということらしい。ああ、そうですか。とりあえず、内容がわからないような映画では全然なかったのに、「全くわからなかった」という感想がネットにあふれているのを見ると、ある種の邦画ばかり流行るのも頷けるけれど情けない。