実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『国境の南、太陽の西』(村上春樹)[B959]

国境の南、太陽の西』読了。たぶん三度めくらいだが、文庫版は初めて。かなり久しぶりに読んだが、なかなかおもしろかった。

国境の南、太陽の西 (講談社文庫)

国境の南、太陽の西 (講談社文庫)

単行本が出たのは1992年の秋だったと思う。舞台となっている時代と書かれたときがほぼ同じで、村上春樹の小説のなかで、たぶんわたしが初めて出版と同時に読んだものである(買ってきて夜から読み始めたら終わらなかったので、翌日はたしか会社をずる休みした)。つまり描かれている時代と書かれた時代と読んだ時代がだいたい一致しているので、そこに描かれている時代の空気みたいなものがかなりリアルにわかる。そうすると主人公の時代の見方、捉え方もリアルに感じられ、しばしば村上春樹のエッセイを読んでいるような気になった。主人公に子供がいて、奥さんが専業主婦で、何度か浮気をしたことがある、という点はどうも違和感をおぼえるけれど。

村上春樹の小説の欠点は、大人の女性がぜんぜん魅力的でないことだと思うけれど、その最たるものがこの小説のヒロイン、島本さんである(だいいち名前が悪い)。魅力的でないというより、そもそもどんな外見、雰囲気なのかがぜんぜんわからない。ファッションなどが詳細に書かれているにもかかわらず、どういうタイプかすら想像するのが難しい。わたしは小説を読むとたいてい「この小説を映画化する場合のキャスト」を無意識に考えてしまうのだが、そういえば村上春樹の小説を読んでそのように考えたことはない。小説そのものは、かなり映画的というか情景が浮かぶタイプの小説なのだが。大人の女性に限らず、だいたいにおいて人物の外見が想像しにくいというか、実在の人物に当てはめにくいと思う。

村上春樹の主人公は、たいてい自分なりの仕事観をもっていて、それを語る場面がある。この小説では特にそれが目立ち、過去の退屈な仕事と現在のクリエイティブな仕事の対比として語られるため、特に村上春樹本人の仕事観を反映しているように感じられる。その内容は、そんなに変とか間違っているとかいうわけではないが、でもちょっと会社員生活を誤解していると思う。主人公が自分のジャズバー経営の理念みたいなものを語るところがあるが、ここで語られているのは「お客様指向」ということと「ユースケースを考える」ということで、現代の会社員が日々求められていることそのものである。自分の意見が言えない、改革が求められないというのもたしかに困るが、いつもいつもそれを要求されるのもけっこうしんどい。一日中机に座って校正をしていれば、ずっと給料が貰えるような会社なんて今時ないのではないだろうか。あったらわたしが働きたい。