藤原審爾『秋津温泉』読了。
- 作者: 藤原審爾
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 1978/11
- メディア: 文庫
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しかしながら、これはわたしには合わない、かなり我慢のならない小説だった。何が我慢ならないかといえば、文体である。形容詞が多い。死ぬほど多い。心理描写が大げさで、「情感」だの「情愛」だの「女のいのち」だの、「なんなのそれ」という言葉が多用されている。抽象的で、主観的で、感情的。やはり小説はストーリーではなく文体なのだと納得させられる。
この小説は、主人公の周作の視点で書かれているが、同年代の女性に対して、上から目線のうえに見る目がいやらしすぎる。中年になってからの回想なのかと思ったら、21歳で書きはじめた小説とのこと。スケベという意味のいやらしさとはちょっと違う、人間としてのいやらしさ。川端康成のいやらしさと同類だと思うが、川端よりひどいし、川端は文体がいいから読めるのだが。
直子と新子という二人のヒロインも、終始この男の視点で語られているため、ぜんぜん魅力的に映らない。見た目や行動だけでなく心理まで事細かに書かれていて、それが全部断定的で自信満々なのでげんなりする。「みのりのよい軀」という修飾がしつこくついている新子など、お人よしで都合がよくて常に欲情しているデブにしか見えない。どうしても岡田茉莉子を頭に描いて読んでしまうため、そのギャップによけい苦しむ。『温泉文学論』によれば、「清澄な恋愛小説、哀切な青春小説として読み継がれている」(p. 144)ということだが、とてもそうは思えない。
ところで、ヒロインのひとりの直子は、『ノルウェイの森』[B743-上][B743-下]の直子のイメージと重なるところがあった。村上春樹がこの小説の影響を受けているとは考えにくいので、たぶん偶然だと思うけれども。
小説を読んだらまた無性に『秋津温泉』が観たくなった。それと、モデルになった奥津温泉にも行ってみたい。映画のほうは、近くの大釣温泉ということなので、そっちにも行ってみたいけれど。