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改訂版ならばどの程度改訂したのか書いておくべきだと思うが、これには何も書かれていない。わたしの推測では、訳文を読み直して気になるところなどを直した程度だろうと思う。翻訳者の谷口陸男氏はすでに亡くなっているようだが、それじゃあ誰が改訂したのか(なんの注釈もなくていいの?)。
オリジナル版との比較は次項に譲り、ここではどんなふうに訳がひどいのかについて書いてみたい。問題点は、次の3つに分類できる。
- 誤訳が多い(たぶん)
- 直訳的で、意味のわかるこなれた日本語になっていない
- 古くさい
まず、誤訳について。原文を見ていないので断言はできないが、森慎一郎訳とは違うことが書いてあり、森慎一郎訳のほうが意味が通っている、という箇所がたくさんあった。単語レベルの問題だが、一箇所だけ原文を確認したところを紹介する。
- 原文:he could search it for a day and find no stone of the Chinese wall he had once erected around it, no footprint of an old friend.(後述, p. 350)
- 森慎一郎訳:一日中探し回っても、かつてあなたがこのビーチを守るために築いたあの万里の長城の石一つ、懐かしい友の足跡一つ見つからないでしょう。(p. 487)
- 谷口陸男訳:一日じゅう探し求めたところで、かつて彼が周囲にめぐらした中国ふうの塀の石ひとつ見つかるまい。昔の友の足跡すらありはしないのだ。(下, p. 211)
ディックがいつ中国ふうの塀なんか作ったんだと思ったよ。
次に、訳文について。谷口氏はフィッツジェラルドの小説について、解説で次のように述べている。
…その小説の構成は飛躍的でややもすれば緊密さを欠き、文書もまた連想の飛躍を示して比喩のかった、省略の多い、暗示的なものとなる。(下, p. 284)
上に挙げた例からもわかるように、谷口陸男氏の訳はそのような原文をほとんど直訳している。できるだけ直訳したほうが作家の文体を維持できるという意見もあるだろうが、わたしはそんなに単純なものではないと思う。直訳した結果、日本語でそういった言い回しをしないようなものになってしまったら意味がない。作家独特の言い回しだけではなく、英語独自の言い回しに依存する部分もあると思われる。谷口陸男訳が意味不明→森慎一郎訳ではこんな感じだったはず→原文はきっとこういう表現なんだな(あくまで推測)、といった感じで納得する箇所もいくつかあった。ちなみにWikipediaの「谷口陸男」の項(LINK)には、次のように書かれている。
ロスト・ジェネレーションの米国作家を専攻し、ヘミングウェイ、ヘンリー・ミラーなどを研究、翻訳したが、あまり英語がうまくなかったようで、『夜はやさし』など読解不能の訳になっている。
それはちょっとあんまり…。でもそう書いてしまう気持ちもわかる。どちらかといえば、問題があるのは英語力ではなく日本語の文章力のような気がするが。
最後に、古くささについて。最近は、村上春樹のいくつかの翻訳とか、「いま、息をしている言葉で。」というコピーの光文社古典新訳文庫とか、新訳が話題になっている。一見、以前の翻訳本の日本語自体が古びてしまっているように思いがちだが、実は古くなっているのは日本語の文章全体ではなく、日本語の小説の場合、(文語はともかく)文章が古くさい、古びてしまったと感じることはあまりない。漱石など昔の小説を読むと、古くさいどころか「かっこいい」「こういう文章を書きたい」「こういう言葉をしゃべりたい」と憧れる。『夜はやさし』の旧訳が出た1960年ぐらいだと、川端康成や三島由紀夫くらいしか読んでいないが、多少の違いはあれども今の日本語とあまり変わらない印象である。
古くなっているのは、あくまでも翻訳文なのだ。翻訳文の古くささが顕著なのは語と会話文である。
語レベルでは、日本に入ってきていないモノや概念、あるいはあまり知られていない固有名詞をどう訳すかという問題がある。この点では、1960年と2008年の間には顕著な違いがあるはずだが、訳文をチェックするレベルで修正できるので、今回ほとんど修正されていると思っていた。ところが。「アメリカ通運会社」ですよ、「アメリカ通運会社」。卒倒しそうだ。それから「麻底のサンダル」。ちなみに森慎一郎訳ではちゃんと「アメリカン・エキスプレス」「エスパドリーユ」である。
会話文が古くさいのは、話しことばが訳された当時から変わったからではなくて、そもそも昔も今も現実には使われていない文だからだと思う。映画やドラマの吹き替えの台詞を思い出してもらえばいいと思うが、あんなことばづかい、誰もしていないでしょう。吹き替えの台詞自体は今も変わっていないように思われるが(吹き替えで観ないからよくは知らないが)、要するに「いま、息をしている言葉で」会話してほしい。
会話文以外でも、かつて「翻訳調」などと呼ばれたものがふつうの日本語になる一方で、見ただけで翻訳とわかるような文体というものはなくなる傾向にあると思うし、なくなるべきだと思う。
ところで、ごく一部しか参照していないが、いちおう原文もチェックできるように原書[B1303]も入手した。
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