『回想のブライズヘッド (上)(下)』読了。
- 作者: イーヴリンウォー,Evelyn Waugh,小野寺健
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この小説自体は何度も読んでいるので、今回は翻訳についてちょっとだけ。まずはタイトル。わたしは『ブライヅヘッドふたたび』という邦題が好きだ。原題“Brideshead Revisited”の翻訳としてもぴったりだし、日本語としても美しい。さらにわたしが気に入っているのは「ブライヅヘッド」という表記である。この「ヅ」がいい。それが『回想のブライズヘッド』などという、ことばも表記も凡庸なタイトルになってしまってはげしくがっかりである(そりゃあ『青春のブライズヘッド』(論外)よりはマシだけれど)。
本文の翻訳は、原文を見たわけでも、両者をきちんと比較したわけでもないので、いいかげんな印象に過ぎないが、『ブライヅヘッドふたたび』より文が短くて読みやすい。なにより、アロイシアスがちゃんとテディベアになっていてよかった。『ブライヅヘッドふたたび』では「熊の玩具」になっていて、ネジを巻いたら動いたり太鼓を叩いたりするクマを想像しそうだ。
でも、文学としての格調みたいなものは、『ブライヅヘッドふたたび』のほうがあったような気がするし、わたしが『ブライヅヘッドふたたび』の訳文を記憶しているところで、「あっちのほうがよかったな」と思ったところがいくつかあった。たとえばこれとか。
「そしてママの味方になったのかね。」
……「いや、君のだ。世界を向こうに廻そう、」…
(『ブライヅヘッドふたたび』p. 210)
「きみはママの味方になったわけか?」
……「いや、ぼくはきみの味方だ。世界に背を向けたセバスチアンの味方さ」…
(『回想のブライズヘッド (上)』p. 270)
あとは主人公のチャールズに関して、『ブライヅヘッドふたたび』では印象がうすく、『回想のブライズヘッド』では、保守的なところやちょっと嫌味なところとかがより目立って、若干「イヤなやつ」という印象が残る。
思うに、英文だけで小説を読める人、まして楽しめる人はそんなに多くないだろうが、時々原文を参照したい、日本語訳の助けを借りながら原文も読んでみたいという人はかなり多いに違いない。だったら、原文と日本語訳を併記した本をもっと出すべきだと思う。語学学習用の無粋な訳がついたのではなくて、きちんと文学として通用する翻訳を併記して、しかも文レベルの対応がわかるようになっているもの。あと、原文と複数の翻訳が格納されているデータベースがあるといい。そういうのを参照しながら、自分なりの翻訳をつくるというのも、遊びとしてすごく楽しそう。
それから『回想のブライズヘッド』で気になったのは、なぜか上巻の終わりにネタバレな解説がついていること。そこに、当時の背景も含めたホモセクシャル的な要素についての解説が全くないこと(数十年前はともかく、今出すなら必須でしょう)。「マーチメイン侯爵家が代々敬虔なカトリックだった」というわけのわからんことが書いてあること。
最後に、この本とは関係ないが、この小説が最近映画化されたもののDVD発売についてひとこと言いたい。映画化のことは、去年『ブライヅヘッドふたたび』を読んだときに偶然知ったが、その後、日本では公開されず、DVDが発売されることを知った。監督も俳優も興味をひかないので買う気はないが、スカパーで放映されたら観たい。それはともかく、問題はその邦題である。原題はもちろん“Brideshead Revisited”だが、その邦題は『ブライヅヘッドふたたび』か『回想のブライズヘッド』以外にはないと思う(当然わたしは『ブライヅヘッドふたたび』を推すが)。この小説も、作者のイーヴリン・ウォーも、日本では知らない人がいないというほど有名ではないが、それなりには知られているし、愛読者も多いと思われるからだ。ところが、DVDのタイトルは『情愛と友情』(公式)。なんですか、それは。原作の読者は全く無視、しかも聞いたそばから忘れてしまうようなタイトルで、いったい誰に売るつもりなんでしょうか。