実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『Orzボーイズ!(囧男孩)』(楊雅竽)[C2008-10]

2本めは台湾映画で、楊雅竽(ヤン・ヤーチェ)監督の『Orzボーイズ!』(公式ブログ)。これは台湾で9月に公開されたばかりで、評判も興行成績もいいらしいが、リアルタイムに近い状況で観られることはとてもうれしい。

映画の舞台は現在のおそらく台北で、主人公は小学生の二人の男の子。学校、親友、仲違い、警察沙汰、別れ、約束の地への旅、意外性のあるラストという展開は、否応なしに『九月の風』[C2008-06]を連想させる。どちらもいいのだけれど、どっち取るかって言やぁ、やっぱり『九月の風』のほうだな。『Orzボーイズ!』は、特に前半はかなりコメディ色が強く、どことは書かないがツボのシーンもけっこうあった。でもアニメとか異次元とか、彼らが思い入れがあるものに興味がないし、挿入されているアニメのシーンになると、どうしてもテンションが下がってしまう。

二人の男の子は、かわいいし、演技も自然でたいへんよくやっていると思う。でも『ポケットの花』[C2007-41]のあとでの上映は著しく不利だ。気の毒だけど、ぜったいに負けている。

騙子一號(うそつき一号)(李冠毅/リー・グァンイー)、騙子二號(うそつき二号)(潘親御/パン・チンユー)というあだ名で呼ばれている二人の男の子は小学校(國民小學)の同級生。精神病の父親と二人暮らしの一号は、幼くして大人になって世間と対峙することを余儀なくされている。そのため、母親がハワイにいると想像したり、ウォータースライダーに100回乗ると異次元へ行けると空想したりすることによって、精神のバランスを保っている。それは単なる空想ではなく、父親が元気だったころの思い出とつながっている。一方二号も、両親から放置された問題のある家庭環境だが、祖母の愛情をたっぷり受けて育っており、まだまだ子供である。卡達天王というアニメキャラクターのファンであることがふたりを結びつけており、一号は二号の空想を楽しんだり信じたりしているが、その裏にある思いまではわからない。もちろん子供にそこまで理解しろというほうが無理なのだけれど、このことが、のちにふたりが仲違いする根本的な原因なのだろうと思う。

ふたりが仲違いする直接の原因は、二号が卡達天王のフィギュアを当てたが、今は渡せないから「すぐにお金で受け取るか、実物をあとで受け取るか」の選択を迫られ、一号が金で受け取ることを選んだことである。一号はお金をもらって海洋公園に行きたかったが、二号はフィギュアがほしかった。「僕が当てたのに…」と繰り返して一号を責める二号の気持ちは、痛いほど伝わってきた。物欲は幼い子供にもあるものだし、時にそれは生きる原動力にもなるものだから、一概に悪いとはいえない。特に、ほしいものが簡単には手に入らない幼いころは、モノに対する思い入れが積み重なって、もはやただのモノではなくなってしまうことも多い。でもここに出てくる模型屋は、いたいけな子供の物欲を煽って商売をしている資本主義の権化である。それによって二人の友情が壊れてしまうのはあまりにも切ない。模型屋の男は私的な制裁を受けるが、そのような社会のありように対して批判的な視点がほとんど感じられないことが、後味の悪い思いを残す。その後味の悪さは、救いのあるラストシーンを観ても拭い去れなかった。

一号のほうが難しい役柄だが、精神病の父親と二人暮らしということがあり得るのかということや、父親のたたずまいや河沿いの住まいがいかにもな感じでリアリティに欠けた。一方の二号をとりまく環境は、実際の市場で撮影したと思われる薬草屋の様子や、梅芳(メイ・ファン)が演じるおばあさんなど、かなりリアルですばらしい。おばあさんが梅芳で、頼りない叔父さんがいるという設定は、まるで『冬冬の夏休み』[C1984-35]である。

市場は萬華の新富市場で、おそらくこのあたりが舞台だと思われる。一方、一号の家のロケ地は淡水のようだ。家から觀音山の端のほうしか見えないのは、淡水ではないという設定だからだろうか。

上映後、楊雅竽監督、プロデューサーの李烈、二人の子役、李冠毅と潘親御をゲストにティーチインがあった。子供たちはこの映画のために選ばれた素人で、今後の出演予定も特にないようだが、けっこう場慣れしていてサービス満点だった。

久しぶりにとんきでひれかつを食べて帰る。