実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『キネマの大地(紀録黎明)』(向陽)[C2008-09]

東京国際映画祭が終わったら、今度はNHKアジア・フィルム・フェスティバル(公式)。といっても参加するのは今日だけ。

マークシティのBikini TAPAで昼ごはんを食べてから、まず1本めは中国映画の『キネマの大地』。日本の敗戦後、満映(満洲映画協会)にいた日本の映画人が残留し、中国人を助けて東北電影公司(現在の長春電影製片廠)の基礎を築いたという話を映画化したもの。この話は、『幻のキネマ満映 - 甘粕正彦と活動屋群像 -』[B236]や『私説 内田吐夢伝』[B289]などに書かれている。内容は知っているので、それがどのように描かれているかに興味があった。

まず冒頭から、俳優たちの演劇みたいな台詞まわし、演劇みたいな大仰な芝居に幻滅する。セット撮影が多いので、不自然さがさらに際立つ。全体として、映画というよりはテレビの2時間ドラマという感じだ。盛りだくさんの内容を90分に詰め込もうとして、ただのダイジェストのようになってしまっている。

しかしいったい何のダイジェストなのかと考えると、これがまたよくわからない。当時の状況や雰囲気が再現されているとは言い難いし、非常にオーソドックスな劇映画の構成をとっているのに、起承転結がはっきりした、感動を呼ぶ物語になっているわけでもない。登場人物は、実在の人物そのままというより、何人かを合わせたような人物が多く、物語も、実際のエピソードをちりばめているものの、かなりフィクションが混ざった内容。中国人カメラマンと日本人技術者とのロマンスを中心にもってきたのは、中国人の視点と日本人の視点を出したかったのかもしれないが、それも成功しているとはいえない。

登場人物でモデルがはっきりわかるのは、澤村監督=内田吐夢監督だけ。主役の中国人カメラマン郭進のモデルは馬守清氏だろうか。ヒロインの真理子のモデルは、今日会場にも来ていた岸富美子さんだと思うが、岸さんは既婚だったからロマンスとかはフィクションだろう。監督であるそのお兄さんは、カメラマンの福島宏氏とかアニメの持永只仁監督とかを合わせたような人物。どうしてそんなに手を加えなければならなかったのか不思議だが、人物設定を変えているのにモデルのエピソードをそのままもってきたりしているので、それがそのまま不自然な点として露出してしまっている。ちなみに甘粕理事長だけは実名だったが、出てくるのは死体だけ。

映画のあとで監修の中島貞夫監督から説明されたところによれば、この映画は向陽監督の大阪芸大博士課程の卒業制作であるが、長春電影製片廠にロケ地提供のお願いに行ったところ、撮影所の歴史を描くものであるので長春電影製片廠の作品として撮ることになったとのこと。とすると、監督の未熟さと、中国の撮影所映画としての制約がかけ合わさった結果、すべてが悪いほうに出てしまったという感じがする。

日本人が単純によい日本人と悪い日本人に分けられているのもひと昔前の映画みたいだし、国民党が悪で共産党が善というのは、当時の状況ではかなり正しいと思うが、このように強調されて描かれるとかえって嘘っぽくみえる。

いろいろ文句ばかり書いているが、特に不満なのは次の三点。

  • ソ連、国民党、共産党がせめぎ合うなかで、日本人も中国人も決断を迫られ、翻弄されていくといった当時の雰囲気がぜんぜん伝わらないこと。予算の問題か、ソ連軍が全く出てこないのも変。
  • 上述の書物によれば、舒群という所長に「生活を保障するから同行してください」と頼まれ、その人柄に惹かれて、多くの日本人が帰国せずに哈爾濱、佳木斯、興山と流れて行ったということである。この舒群と思われる人は明示的には出てこないが、そういう魅力的な人は当然出すべきではないか。
  • 舒群が異動させられた後、内戦の激化でほとんど映画を撮れなくなったことなどもあり、新しい所長のもとで日本人の半分が炭鉱で働かされることになる。しかし映画では所長はずっと変わらず、しかも炭鉱で働かせたりやめさせたりがすべてこの人ひとりの一存である。いくらなんでもあんまりである。

上映後に、中島貞夫監督と向陽監督の挨拶があり、製作の経緯などが語られた。向陽監督は、長春電影製片廠から徒歩15分のところで育ったが、こういったことは全然知らなかったとのこと。それを伝えたいという意欲はわかるが、対象が大きすぎるので、もっとじっくり準備をして撮るべきだったと思う。東映で撮るべきでは?