実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『靖国 YASUKUNI』(李纓)[C2007-26]

渋谷へ移動。エクセルシオール・カフェの前の「パールロイヤルミルクティ」の看板につられて入る。ところが入っていたのは珍珠ではなくタピオカだった。白いの。小さいの。ふつうの。柔らかすぎるうえに超甘い。珍珠奶茶好きの人は絶対に頼まないほうがいいです。

セガフレードで口直しをしようと思ったのに、ぶらぶらしていたらそんな時間もなくなってシネ・アミューズへ。李纓(リ・イン)監督の『靖国 YASUKUNI』(公式/映画生活/goo映画)を観る。李纓監督の映画は『2H』[C1999-28]を観ていて(そのあとの『味』は観そびれてしまったけれど)、けっこうおもしろかったので、今回も映画として期待して観に来た。入りはまあまあで満席ではなかったが、なぜか最前列が使用できなくなっていたのは妨害防止のためか?

靖国 YASUKUNI』は、主に8月15日の靖国神社境内の様子を生々しく写した映像と、刀匠の刈谷直治さんが黙々と靖国刀の鋳造を再現してみせる映像、それから戦争や兵士たちや天皇の映像や写真から成る。これらによって靖国問題の様々な側面を見せながら、天皇=戦争=靖国神社の三位一体を明らかにしていく。

靖国神社には言論の自由がない。そのことがおそらく、わたしが靖国神社に一度も足を踏み入れたことがない理由のひとつである。「小泉首相を支持します」と書いたプラカードを持ったアメリカ人に嬉々として群がる人たちは、東洋人だと見下したり疑ったりするくせに西洋人だと喜んですり寄る日本人の縮図のようで滑稽だが、逆に「毛唐か」と叫ぶ男と、その男に向かって「賛成している方ですから」と何気なく言う警官がこわい。それから、小泉首相靖国参拝に反対する日本人に対して「とんでもない野郎だ、中国へ帰れ、中国へ」と、全く同じ台詞を無限に繰り返す男と、それを警官も誰も阻止しないのがこわい。でも、「靖国神社に参拝する前に遊就館で勉強しなさい」と話すおじいさんには爆笑させてもらった。途中まで言ったところでそう続くかな、と予想したら全くそのとおりだったので、「出たー」という感じ。

靖国反対派」(このようなラベル付けは適切ではないと思うけれども)の代表として、戦後日本人ではなくなった人たちと、神道以外の宗教を信仰する人たちを出してきたのは、わかりやすいけれども、それ以外のふつうの日本人に「自分たちとは関係ない」と思わせてしまわないか少し気になる。でも浄土真宗の住職である菅原龍憲さんが、「靖国神社は戦前から全く変わっていない」ときっぱり言っていたのが印象的だった。日本政府が戦後ずっと経ってからも戦死者に勲章を与えたりしていた事実は初めて知った。ちなみに、多くの人が高金素梅がきれいな人だと書いているが、彼女は金素梅(メイ・チン)の名で李安(アン・リー)の『ウェディング・バンケット[C1993-15]に出ていた元女優である。彼女の発言を通訳していた人が「クソみたいなもんだ」とか連発していたが、そんなこと言ってないって。

この映画に出てくる「ふつうの人たち」の話を聞いたりしてなんとなく思うことだが、比較的多くの国民が、「戦争は二度とやってほしくないし、A級戦犯の合祀はおかしいと思う。でも小泉が言うように「戦死者を追悼して二度と戦争を起こさないため」であれば参拝してもいいんじゃないか」と思っているのではないかと思う。戦争を二度と起こさないことと靖国神社とが、いかに矛盾し、共存不可能なのかということをこの映画は語っている。しかし、このような映画がいくら作られ、『靖国問題[B1108]のような本がいくら書かれようとも、彼らはそれらを観たり読んだりしないし、問題を深く考えてみようとはしないだろう。このような、「基本的には平和を願う善良な国民」だが、「知識や認識が不足している人たち」は、ちょっとした匙加減でいかなる勢力にもつく可能性があるし、彼らの票がわたしたちの将来を決めていくことにもなりかねない。そのことの恐さを漠然と感じる。

最後に、この映画をめぐる騒動について。全体的には、タイトルに「靖国」とあるだけで社会全体が異様にナーバスになっていると感じる。このことから、いかにこのテーマがタブー視されているかがうかがわれる。助成金については、芸術文化振興基金助成金交付の基本方針に「政治的、宗教的宣伝意図を有するものは除く」とあることから問題視する声があるようだが、政治的な主張があることと政治的宣伝意図があることとは全く別である。(広い意味での)政治的主張のない映画など存在しない。それから、この映画が「反日的である」という主張は全く馬鹿げている。この映画で描かれていることと、「反日」「親日」といった軸とは全く交わらない。靖国神社を問題視することが反日的だと思っているとしたらただのバカである。また、反日的な映画には国のお金を出すべきでないと思っている人は、日本に言論の自由表現の自由があるとは今後決して言わないでもらいたい。

監督が中国人であることから、中国政府の主張と監督の主張を同一視するような馬鹿げた見方もあるようだが、中国政府が反対しているのは首相や閣僚の靖国神社参拝であり、その理由は靖国神社A級戦犯が合祀されているからである。中国と日本は、「悪かったのは日本の軍国主義者(≒A級戦犯)であり、大部分の国民は悪くなかった」というフィクションを共有して国交正常化を成し遂げ、中国は日本に対する賠償請求を放棄した。首相が靖国神社に参拝することは、明らかにこれに違反する行為であり、約束違反である、ということだ。この映画は、そのような問題に限定しない、もっと広範な問題を扱っている。監督が中国人(外国人)であることは、対象と少し距離を置いた冷静な視線をかたちづくるうえで、むしろプラスになっているように思う。