バンガロールに来ちゃったの

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『歴史の交差点に立って』(孫歌)[B1304]

『歴史の交差点に立って』読了。アマゾンから来たお勧めメールを見て、楽天で買ったわたしをお許しください(だってポイント2倍の日だったから…)。

歴史の交差点に立って

歴史の交差点に立って

あちこちの雑誌や本に収録された孫歌の論文集。語られているテーマはさまざまだが、一貫しているのは、対象を外から眺めてその静態を研究するのではなく、ダイナミックに動いているなかに入って動態を研究しなければならない、ということであり、そこには大いに共感するものがあった。

反日デモSARS、それらをめぐる日本(海外)の中国報道、沖縄、歴史認識といったことについて、共感したりなるほどと思ったりしたところをいくつか引用しておきたい。

 中国のデモは日本にとっても突発的な非常事態であった。危機に溢れながらも痛点の知覚が鈍いという現代において、この非常事態も新しい契機とはならず、それどころかまたたく間に古い認識パターンに回収されてしまったようだ。これまで長い間、中国大陸は政治や言論の不自由な「全体主義国家」とみなされ、この国に発生したすべてのトラブルは、最終的に「政府の意向」として解釈されるのが通例であった。今回の日中の緊張関係からもたらされた日本の基本的な反応のなかにも、この思考様式が見うけられる。事態の変化につれ、日本の世論も流動しているにもかかわらず、主流となる認識パターンが変わることはなかった。その認識パターンとは、「政府の仕業」というものである。デモの主体である中国の市民は、日本社会の想像のなかでは、たかだか政府に利用されるか、弾圧されるかといった、受身の存在としてイメージされることがしばしばである。……(『歴史の交差点に立って』p. 19)

 ……生と死に直面している北京市民は、厳しい状況に身をおくしかなく、そして状況の推移につれ、既成の判断はその有効性を失い、社会の状況や価値判断は激しく変化していた。当事者はだれもが、真に「当事者」として存在しようとするかぎり、常にありとあらゆる事柄を事件全体の変化過程において認識しなおさなければならない。それに対して、部外者にとってあらゆる局部の問題は、完成した、変化を持たない問題として扱ってこそ、初めて理解可能となるのだ。SARSの進行過程において、私はいかなる時期においてよりも、この「内部視座」と「外部視座」の差異を強く感じさせられていた。……(『思想史事件としてのSARS』p. 31)

 ……事件のなかにいるか外にいるかにかかわらず、観念的に現実に向き合う知識人たちは、実際には、ある種の「理想的民主政治」像、「理想的公平社会」像を潜在的に持っている。そしてそのモデルは、長い間アメリカであった。このような「文明一元論」に基づいて、アジアおよび第三世界に対し、知識人はつねに「何が欠如しているか」を検証しようとしている。九・一一以後、アメリカそのものの権威は揺さぶられた。しかし、知の世界での文明一元論は相変わらず力強いものがある。「民主か独裁か」という抽象的二元対立の構図は、今日においても、そのバリエーションはつねに再生産されつつある。その結果、知的生産は貧困化され、豊かな現実から思想を練り上げることが極めて困難になり、「欠如理論」はいまでも流行ったままである。……(『思想史事件としてのSARS』pp. 44-45)

 ……われわれ東アジアには、その近代史の経緯のゆえに、「国民国家」に回収できない地域問題がある。しかし、国民国家ナショナリズムへの批判は、むしろその部分を見落としてきてしまったのだ。
 日本の本土にとっての沖縄は、大陸における台湾の位置づけとは異なるが、原理的に考えれば、似たような要素がある。沖縄には国民国家に回収できないような豊かなアイデンティティが存在しているのに、人びとは価値としてそれを肯定するというより、マイノリティとしてそれを表出しようとする傾向が強い。(『沖縄がわれわれの眼に映るとき』p. 67)

また、南京大虐殺についての次のような記述には、考えさせられるところが多かった。

 中国市民にとっては、南京大虐殺というシンボルは、アジア・太平洋戦争の被害記憶のすべてを代表するものである。「三〇万」という数字は日本軍が一五年の間、中国大陸で犯した罪悪を表現する象徴的な数字であり、普通の数字よりもっと重い役割を担っている。つまりそれは「計算」以上の性質を持ち、それゆえに計算という手段で検証できるものではない。そういう意味に限って言えば、事実としての南京大虐殺を扱う「歴史研究」とは、位相がまったく異なるのである。後者を前者に取って代らせることは不可能であり、そもそもその意図自体が、一般の中国人にとっては自分たちの「三〇万」に込められた感情を逆撫でするものと感じられる。実際に、事実としての南京大虐殺を研究する歴史学者は、中日両国それぞれにいて、互いに協力しあうこともある。しかし、この種類の研究は、中国市民の感情を尊重するという前提に立つものとはいえ、全国的な範囲の中国市民の感情記憶とは必ずしも同質なものになるわけではない。問題は、日本政府の公式的謝罪が行われず、日本になお「まぼろし派」が存在しつづけている以上、中国市民の「南京記憶」は被害国の反発として補強されつつあるということだ。(『多文化共生における「文化政治」-「南京」「ヒロシマ」「九・一一」をめぐって』p. 144)

南京大虐殺が語られるとき、被害者ひとりひとりは顔も名前もある生身の人間であったということは忘れ去られ、三〇万であれ三万であれ数字だけが一人歩きしていることに違和感を感じる。しかしそれとはまた別に、感情が絡む困難な問題があるようだ(そしてそこでもやはり被害者ひとりひとりは無視されている)。日本政府の謝罪が必要なのはもちろんだが、良心的な研究も助けにならないというのはなかなか難しい問題である。被害のシンボルとしての九・一一、南京、ヒロシマの比較はたいへん興味深く、今後もっと研究されるべき課題であると思う。