実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『モンゴル(Mongol)』(Sergei Bodrov)[C2007-24]

久しぶりに映画を観に出京。まずはリニューアルしたひげちょうで昼ごはん。カウンター席がなくなって、ちょっと高級な雰囲気になっていた。映画は、『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』がずっと懸案なのだが(なにしろ長いので)、これは黄金週間後半までやっていることがわかったので、先に『モンゴル』(公式/映画生活/goo映画)を観る。

監督が『コーカサスの虜[C1996-35]のセルゲイ・ボドロフで、出演が浅野忠信と孫紅雷(スン・ホンレイ)ときたら観ないわけにはいかない。いや、別に浅野はどうでもいいのだが、なぜか彼が出演している外国映画や外国人監督の映画はほとんど観ている。孫紅雷だって別にファンではないのだが、中華系俳優の世界進出(ハリウッドを除く)は見届けたい。セルゲイ・ボドロフの映画をふつうの劇場で観るというのも奇妙な感じで、渋谷TOEI1はかなりすいており、客層はナゾだった。でもミニシアター向きの映画だったかというとそうでもない。

アクションシーンがよかった。血しぶきの飛び散り方がすごい。おかげで血しぶきばっかり見ていて、誰が誰を切ったといったストーリー的なところは見逃した。逆に、「壮大な音楽」が惜しみなくついているのと、クロース・アップが多いのに閉口した。ロングショットを多用して、モンゴルの風景を魅力的に見せてくれることを期待していたのだが、そんなでもなかった。ちょっとよさそうなショットだなと思ったとたん、あっさり切られているのにもがっかり。それから「全編モンゴル語」と書いてあるのは大ウソである。なぜか西夏の人は北京語をしゃべっている。たしか一番最初の台詞が北京語だったのでビビった。

チンギス・ハーン(テムジン)の若い頃のお話だが、特に予備知識もなく観た。たしか中学生くらいのときにチンギス・ハーンのドラマを観て、けっこうハマった記憶があるのだが、内容はといえば「股裂きの刑」しか憶えていないのが我ながら呆れる。『モンゴル』のテムジンはかなり創作が入っているらしいことはあとで知った。もっと力頼みの人という印象だったが、浅野が演じるとかなり知的に見える。奥さん(クーラン・チュラン)が敵に略奪されたり西夏へ行くためほかの男とくっついたりしても動じず、儒教的な貞操観念みたいなものから全く自由なところが気持ちいい(当時のモンゴル社会はそんなだったのだろうか)。そのパワフルな奥さんは元井系だった(よね?>J先生)。

テムジンが、掟を定め、モンゴル人をまとめて復讐の連鎖を断ち切ろうとするところが今日的な意義かと思うが、気になったのは「モンゴル人なら…」とか「我々モンゴル人は…」とかいった台詞が多いこと。部族間で殺し合いをしているような時代に、果たして「モンゴル人意識」などというものがあったのだろうか。チンギス・ハーンは多くの民族を支配する広大な帝国を作ったわけだが、この映画では、モンゴル人をまとめてモンゴル人の国を作る国民国家創生の物語のようにも見えてしまう。北京語を話す娘にモンゴル語の美しさを教えるところなども、勘ぐり出すと気になるところである。

さて、一部シネフィルにのみ評判がよく、一般には酷評の澤井信一郎版『蒼き狼 地果て海尽きるまで』も、中国版の『蒼き狼 チンギス・ハーン』も、録画してあるのでぜひぜひ観たい。買い物をしたあと、久しぶりのとんきでひれかつを食べて帰る。