実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『ラスト、コーション(色|戒)』(李安)[C2007-21]

今日の2本目は、ル・シネマで『ラスト、コーション』(公式/映画生活/goo映画)。李安(アン・リー)の新作で、原作が張愛玲(アイリーン・チャン)で、主演が梁朝偉(トニー・レオン)で、舞台が上海で、ロケ地がイポー。観なくていい理由がない。一方で、監督が李安だからそれほど期待はできないとも思う。観ていない映画のレビューは読まない主義だが、ちらちらと目に入ったところでは、中華系の人たちは大絶賛、シネフィルには不評という感じだった。観終わって感じたのは、常々思っていたように、やはり李安は欧米を舞台に撮ったほうが出来がよく、中華圏を舞台に撮るといまいちだということ。でも正直言ってもうちょっといいのかと思っていた。

この映画にいちばん欠けているのは、陰影と色香だと思う。日本占領時代の上海が舞台で、スパイや密会が描かれているのだから、もっと陰影に富んだ映画だと思っていたのだが、なんだか明るくて平板である。原作がこだわって描いている洋服やアクセサリーはかなり忠実に再現されているが、再現すればいいというものではない。そこに付随する意味や、あるいは張愛玲的世界とかいったものは、再現されているとは言いがたい。カメラワークや編集も含め、とにかく画が全然よくなくて、印象に残るショットがなかった。要するに、時代の空気みたいなものが全然醸し出されていなくて、テーマパークみたいな映画だ。

原作(id:xiaogang:20080115#p2)を読んでしまったからには、どうしても比較せざるを得ない。映画は一見原作に忠実に作られているが、実は全く異なっている。原作は、ある日の午後3時前から10時過ぎくらいまでの、約半日のドラマである。背景やそこに至る経緯は、登場人物(主にヒロインの王佳芝)が考えたり感じたりしていることと関連させて示されている。この部分をどう表すかがいちばんのポイントだが、映画では単純に、序盤で時間が4年前に戻り、王佳芝たちが広州から香港に疎開するシーンになる。ここから、終盤にまた当日に戻るまで、過去が時間順に語られていく。つまり映画の大半は長い長い回想シーンみたいなものである。この構成は全くいただけない。

原作は、あくまでも数時間の出来事であり、その間に王佳芝の頭や心に去来する様々な事情や出来事や思考や感情が、現在の彼女を取り巻く緊迫した状況に作用した結果、化学反応のように予期せぬ行動が導出される。ところが映画では、長い回想シーンが、最後の行動の動機づけを説明するためのものになってしまっている。彼女の中にある義務感や役を演じる喜び、肉欲や愛、女たちのあいだでの、あるいは男と女のあいだでの見栄や面子(それはダイヤモンドの指輪に象徴される)。そういった矛盾を含む重層的なものが、映画ではかなり平板になってしまった。おそらくそれは、材料を提示して結果を見せるという方法ではなく、筋道を考えてそれがわかるように語ろうとしているからである。

最後に視点が易先生に変わるのも原作の魅力のひとつだが、映画はこのあたりも曖昧。この映画ではモノローグは使っておらず、たしかにモノローグは安易な手法ともいえるが、モノローグ好きのわたしとしてはモノローグを使ったほうがよかったような気がする。人物を必要以上に動かしてみたり(易先生は、最後にあんな不用意に彼女の部屋へ行ったりしないと思う)、下品なほどに視線の芝居をするというのもいかがなものか。

どこがイポーロケなのかはよくわからなかった。イポーだけでなくペナンロケもあったようで、DVDを丹念に見ればわかるかもしれないが、そういう情熱がわかない。セットのシーンもセットでないシーンも、外景は全部セットみたいで全然魅力が感じられなかったから。

梁朝偉は、『傷だらけの男たち』[C2006-31]にこれと、チャレンジングな役が続いているが、どうもいまひとつに感じられる(だいたいこの役にはいい男すぎだろう)。湯唯(タン・ウェイ)は、わたしとしてはこれといって惹かれるところのない女優だった。王力宏(ワン・リーホン)は嫌いだと言いつつ動くのを見るのは初めてだったが、やっぱり嫌いだと強く再認識した(原作に比べて出番が大いに増えていて大顰蹙)。最大の不覚は、呉先生が庹宗華(トゥオ・ツォンホァ)だと気づかなかったことだ。

今年初めてのとんきへ行き、ひれかつを食べて帰る。