現代思想臨時増刊の『総特集 ドキュメンタリー』をやっと読了。『現代思想』だとか『環』だとかは、ページ数も文字数も多く、ふつうのハードカバーの本よりもずっと時間がかかってしまう。
現代思想2007年10月臨時増刊号 総特集=ドキュメンタリー
- 出版社/メーカー: 青土社
- 発売日: 2007/10
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私はドキュメンタリーをそんなに観ているわけではなく、ドキュメンタリーを評価する評価軸のようなものが、自分の中でまだはっきり定まっていない。ドキュメンタリーの場合、しばしば内容の重要さが作品の重要さと混同されがちで、そうならないようにと構えて観てしまうところもある。そういった点に関して何か示唆が得られればいいなと思ったが、観ていない映画についての論考が大半であり、そういうわけにもいかなかった。
印象に残ったところを二点挙げておく。ひとつめは、森達也のインタビュー『ドキュメンタリーの地平 - 追悼・佐藤真』より。
ドキュメンタリーは「メタファー」、つまり暗喩が重要です。言い換えれば「普遍性」の獲得です。……(p. 34)
これはドキュメンタリーに限らない、すごく基本的なことであると思うけれども。森達也はこのあと具体例として、『華氏911』が駄目な理由を「バカなブッシュを「バカです」と言っているだけ」だから、と言っている。これは既成のメディアがやるべき領域だと。ちなみに私は『華氏911』は観ていない。なんとなく、映画として優れているような気がしなかったから。
もうひとつは、リティー・パニュのインタビュー『忘却へのレジスタンス』より。リティー・パニュは、劇映画は観たことがあるが、残念ながらドキュメンタリーは未見。
……たとえば、クメール・ルージュの時代に一八〇万人のカンボジア人が殺されました。一八〇万人と言われても、多いということだけはわかりますが、具体的なことはわかりません。このような統計は非常に危険です。量を考えることは非常に危険なことだと思います。一万八〇〇〇人、一八〇万人、両方とも曖昧な数字に過ぎません。そこにこそ映画の役割があると思います。私の映画作品の中では必ず顔と名前があります。はっきりと人間が出てきます。……(p. 45)
これはたとえば南京大虐殺が語られるとき、いつも気になっていたことだ。
ほかに興味深かったのは、
- 王兵インタビュー:『記録と歴史の時間』
- 池谷薫:『「記憶」を撮る - 映画『蟻の兵隊』の撮影現場から』
- 梁英姫:『ナイフで触れるように』
- 佐藤賢:『中国ドキュメンタリー“運動”』
- 丸川哲史:『フィルムが映し出す日中戦争の影』
- 岩崎稔:『記憶から想起へ - ドイツ語圏の作品から』
- 早尾貴紀:『パレスチナ/イスラエルの「壁」は何を分断しているのか - 民族と国家の形を示す四つのドキュメンタリー映像』
など。
王兵(ワン・ビン)の映画はまだ一本も観たことがなくて、今年の山形で大賞を獲った『鳳鳴 - 中国の記憶』はいまいちばん観たい映画のひとつ。『鉄西区』もすごく観たいのだが、上映はいつも平日にかかっているし、アテネ・フランセとか「あの椅子に一日座っていろっていうのか」という場所なので、いまだに観ることができない軟弱者である。
上記の最後の二つは、ドキュメンタリーという枠を超えて興味深い内容だった。内容の観点から語られていたので映画としてどうなのかはわからなかったが、ここに挙げられている映画はぜひ観てみたいし、観る機会があればいいと思う。
残念だったのは、今度のフィルメックスでは賈樟柯(ジャ・ジャンクー)を中心に3本の中国のドキュメンタリーが上映されるが、それらに関する具体的な情報がなかったこと。それから、台湾では最近ドキュメンタリーがけっこう盛んに作られて公開され、毎年のようにヒット作を生み出しており、そのあたりの事情に興味があるが、台湾に関する論考もなかった。台湾だけではなく日本でも、最近比較的多くのドキュメンタリーが公開されてかなり観られているという印象がある。それはなぜなのかといったドキュメンタリーの受容に関しても知りたいと思う。