実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『飼育(Gibier d'Elevage)』(Rithy Panh)[C2011-20]

TOHOシネマズ六本木ヒルズで、リティー・パニュ監督の『飼育』(東京国際映画祭)を観る。第24回東京国際映画祭のアジアの風部門アジア中東パノラマの一本。コンペティションの『夢遊 スリープウォーカー』と時間が重なっていて、J先生はそっちへ行ったが、やっぱり彭順(オキサイド・パン)よりリティー・パニュでしょう。

大江健三郎の『飼育』を、1972年のカンボジアに舞台を移して映画化したもの。原作は未読、大島渚版『飼育』も未見。

ベトナム戦争中の1972年のカンボジアは内戦状態で、親米派ロン・ノル将軍が政権を取っているが、舞台となる村はクメール・ルージュ支配下にあり、米軍の空爆を受けている。そんな村に米軍機が墜落し、黒人パイロット(シリル・ゲイ)は助かるが、村人たちに捕まって檻に入れられ、子供たちが監視役にされる。映画は、この事件の成り行きや黒人兵と子供たちとのふれあいを描きつつ、クメール・ルージュに教化されていく村の子供を描く。

この時点ではクメール・ルージュはまだ暴力的になっておらず、村を支配する若い兵士たちは、革命によって平等な社会を作ることをめざしている。主人公の少年ポンは、母親が売春婦なので村人からは蔑まれ、父親がロン・ノル派に寝返ったため「組織」からは裏切り者の子供とみなされている。彼は、主張に賛同でき、成果を上げれば正当に評価してくれる「組織」のために働くことによってそこに自分の居場所を見つけようとするが、それは次第に、密告やそれに基づく粛正へとエスカレートしていく。彼はそれに衝撃を受けながらもそこで生きていくことを選ぶ。彼の顔つきが、だんだんと大人びた、決意に満ちた感じに変わっていくのと同時に怖い顔になっていくところがすばらしい。

ポンは聡明な少年で、善意で理想を追求しようとしているけれど、たぶんほとんど教育を受けておらず、与えられる情報も偏っていて、多様な情報を得て自分で考えて判断できる状況にない。評価され認めてもらおうという気持ちがそれに輪をかけて、だんだん偏狭で凶暴になっていく。その変化は組織の変貌をも予感させる。ひとりのカリスマ的な「悪い」リーダーが間違った方向に引っ張っていくのではなく、もともと善意や正義だったものが、いかに変容して独裁や虐殺につながっていくのかを、この映画は描いていると思う。

『飼育』というタイトルはロマンポルノを連想させるせいか、すごくスキャンダラスなイメージがあるけれど、黒人パイロットの「飼育」はそれほど衝撃的には感じなかった。まず、アジア系とアフリカ系では顔つきや体格がかなり異なるとはいえ、みんな同じように黒いので、あまり違いが際立たない。また、たしかに人間を鎖でつないだり、檻に入れたりするのはひどいけれど、暑い土地だし、ジャングルの中みたいなところだし、住居も開放的なので、あまりひどいという感じがしない。

黒人パイロットの描写では、いったん逃亡に成功して飛行機の残骸を見つけ、はっきりとはわからなかったがたぶんコンパスがすでにないとわかったとき、はじめて絶望に襲われるところが印象的だった。檻に入れられているときは、言葉が通じなくて状況もわからないし、今をしのぐのが精一杯だし、それでも身ぶりで子供たちとコミュニケイトできたりするし、あまり絶望を感じている暇がなかったのだろう。希望が突然絶望に変わり、今までの元気も気力も失くしてわんわん泣いてしまうのが切ない。彼だけでなく、誰にとっても出口が見えない状況を象徴しているようでもあった。

ベトナム人カンボジア人を人とも思っていないようなアメリカ兵の会話、パイロットを探しに来た政府軍と米軍の兵士の暴力的な捜索、「組織」が共有財産制を導入しようとして村人たちに歓迎されない様子なども描かれ、当時の状況が端的に示されている。