実録 亞細亞とキネマと旅鴉

サイトやFlickrの更新情報、映画や本の感想(ネタばれあり)、日記(Twitter/Instagramまとめ)などを書いています。

『僕は11歳(我十一)』(王小帥)[C2011-19]

TOHOシネマズ六本木ヒルズで、王小帥(ワン・シャオシュアイ/ワン・シアオシュワイ*)監督の『僕は11歳』(東京国際映画祭)を観る。第24回東京国際映画祭のアジアの風部門アジア中東パノラマの一本。この2年間で4本めの王小帥。いいかげん一般公開してほしいものだ。

1975年の貴州省を舞台にした、監督の自伝的映画。主人公のワン・ハン(劉文卿(リウ・ウェンチン*))は、11歳の中学1年生(賈樟柯に激似)。父(王景春(ワン・ジンチュン*))と母(閆妮(イェン・ニー/イエン・ニー*))はもともと上海の劇団員だが、下放されて貴州省の田舎町の工場で働いている。おそらくこの工場で働いているのはすべて都会から来た人たちで、ワン・ハンが通うのも工場内の学校。子供たちは小さい頃に来たか、ここで生まれたかだと思うが、純然たる田舎の子というわけではなく、半分都会の子という特殊な環境である。

1975年というのは、文化大革命終結の前年。かつてのような重苦しさはなく、内輪ではわりと自由にものが言えるようになっている。ただし、まだロクでもない人間が工場を支配しており、政治闘争みたいなものもあり、時おり怪我人も出る。だから集まって言いたいことを言っていても、歌を歌うときは念のため革命歌にしておいたりする。もちろん、翌年毛澤東が死んで文革が終わるなどということは誰にもわからないから、いつ上海に戻れるのかわからない、先の見えない状況が続いている。生き抜くだけで精一杯ではなくなったぶん、逆に先の不安が重くのしかかっているようでもある。

そんな、ちょっとずつ動き始めた時代に、ワン・ハンはちょうどからだも心もアタマも大人になりはじめ、世界が一挙に広がる年齢を迎える。映画は、ワン・ハンが社会の成り立ちや人生のどうにもならなさ、やり切れなさを知っていく過程を、性のめざめと絡ませながら描いていく。父親が教えてくれる絵、母親が作ってくれるシャツなどを通して、親の思いも描かれる。青味がかったくすんだ色合いの、落ち着いた映像が非常に美しい。ワン・ハンの視点で描かれてはいるが、ちょっと距離を置いて見つめている感じもいい。

いちばん好きなのは、ワン・ハンと父親が山で写生をしていて、同僚とその娘に会い、雨に降られて同僚の家に寄るシーン。年上の娘はワン・ハンにとって気になる存在だが、工場の権力者にレイプされ、兄(喬任梁(チアオ・レンリアン*))が復讐のためその男を殺してしまい、ワン・ハンもその逃亡に少し関わっている。上海時代から親しい間柄の父親たちは、事件のことなどを上海語で話しはじめる。子供たちは雨に濡れた服を着替えるが、ワン・ハンを子供だと思っているのか、娘も同じ部屋で着替えはじめる。ふたつの部屋の間はカラフルなのれんで仕切られている。この映画のくすんだトーンは、実際の風景やそこにあるものの色彩がくすんでいるためでもあるのだが、ここでちょっと色褪せた、でもまだ十分カラフルできれいなのれんが引き立っている。

のれんといってもガラス玉のようなものでできたものなので、向こうの部屋やそこにいる人をはっきり見ることができる。大人の世界と子供の世界がのれんひとつで仕切られていて、のれんの向こうでは親の無念さや将来の不安が語られていて、こちら側には裸に近い女性が手の届くところにいる。大人の世界を垣間見て揺れ動く少年の心を代弁するかのようにかすかに揺れるのれん。雨に降りこめられた密室で、人生の重さと心身のときめきとが交錯する濃密な空気が、よく描きだされている。

解説によれば舞台は貴州省だが、クレジットを見たところでは、ロケ地は重慶市萬盛區だと思われる。といっても重慶市萬盛區のすぐ南は貴州省なので、同じようなものである。ロケした場所がたまたま重慶市萬盛區だったのか、モデルとなった場所がかつては貴州省で、その後重慶市に組み入れられたのかはわからない。

より大きな地図で 映画に登場する世界 を表示
なお、映画祭の公式サイトでは、たとえば『転山』[C2011-18]は「北京語、チベット語台湾語」と書いてあるのに、この映画は単に「中国語」。少なくとも北京語と上海語が使われていたと思うし、「中国語」と「北京語」が同じものを指しているのかもわからない。以前はメインの言語しか書いてなかったのが最近はかなり改善されたけれど、もう一息がんばってほしいなあ。