実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『我らが愛にゆれる時(左右)』(王小帥)[C2008-45]

ヒューマントラストシネマ渋谷の三大映画祭週間2011(公式)で、王小帥(ワン・シャオシュアイ/ワン・シアオシュワイ*)監督の『我らが愛にゆれる時』(公式ブログ(中国語))を観る。『クリスマス・ストーリー』や『愛情萬歳』や『麦秋』を連想されるところが楽しい映画。

我らが愛にゆれる時 [DVD]

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離婚してそれぞれ再婚している元夫婦が、白血病にかかったふたりのあいだの子供を救うため、もうひとり子供を作ろうとする話。生命やモラルに関わる、非常に重いテーマを取り上げた力作である。元夫婦とそれぞれの現在のパートナーの計4人が、問題に向き合い、それぞれの葛藤を通してひとつの結論を受け容れるまでがていねいに描かれており、滅多に起こりえない状況を圧倒的なリアリティで見せる。

4人のこれまでのいきさつ、子供の病気の詳細などの具体的な説明は極力省かれ、それらは会話の端々から少しずつわかるようになっており、そのぶん4人のリアクションの連鎖や葛藤がていねいに描かれている。4人はそれぞれ異なるタイプに設定されており、彼らの行動からその性格が浮かび上がってくるのがおもしろい。

まず、白血病の娘・禾禾の母親である枚竹は、ひとりで考えて結論を出し、いったん決めたら揺るがない人。自分の結論を話すとき、かたい決意を示すように相手を睨みつけるかたくなな表情が特徴。演じている劉威葳(リウ・ウェイウェイ*)は初めて見る女優。その再婚相手で、禾禾を実の娘のようにかわいがっている夫・老謝は、娘が病気になったら在宅勤務を申請し、子供の面倒をみて家事もやる、すごくいい人。感情をあらわにしたりはしないが、だからといって我慢しているわけでもなく、難しい問題に直面すると煙草を買いに出かけ、冷静になって考えるのが特徴。繰り返し出てくる煙草屋さんは、ちょっと前の中国的な雰囲気があってなかなかいい。今後さらに喫煙しにくい状況になっていくと、こういった設定も使えなくなるだろうと思うと残念だ。そのときは小鳥の餌を買いに行ってもらいたい。演じているのは、『世界』(id:xiaogang:20051106#p1)で趙濤(チャオ・タオ/ジャオ・タオ*)の恋人役をやっていた成泰燊(チェン・タイシェン/チョン・タイシェン*)。『世界』では、かっこいいんだか悪いんだか、頼れるんだか頼れないんだかよくわからない男を淡々と演じていたが、今回はいい夫の役がぴったりはまっていてちょっと別人みたい。

禾禾の実の父親である、枚竹の元夫・肖路は、いちばんつかみどころのない人物。仕事ではけっこう高圧的なのに、女性たちからはがんがん責められて困りまくり、結局押し切られる感じが憎めない。演じている張嘉譯(チャン・ジャーイー/ジャン・ジアイー*)は知らない人だと思ったけれど、『重慶ブルース』(id:xiaogang:20101031#p4)にも出ているようだ。その再婚相手の董帆は、ほかの3人よりも若くて気が強く、感情を表に出して言いたいことを言うタイプ。4人のなかで最も当事者性が低く、ほとんど運悪く巻き込まれた犠牲者なので、その不満を隠そうとはしない。演じている余男(ユー・ナン*)は、名前は知っているけれど見るのは初めて。いつも半開きの唇がエロい。

老謝が煙草を買いに行くのもそうだが、老謝と肖路がお互いに気を使っているちょっと気まずい感じとか、枚竹の家に文句を言いに乗り込んだものの、禾禾や老謝に会って何も言えなくなってしまう董帆とか、あるいは肖路がいつももっている、いかにも下請け企業の社長という感じのセカンドバッグのさりげない目立たせ方とか、そういう各人物のもっている雰囲気、人物間の空気がすごくリアルな感じでよかった。

ここ数年、患者の家族として病院に通い慣れているわたしとしては、ついそういう目で病院のシーンを見てしまうところもあり、余命宣告を含むような大事な話が廊下での立ち話で行われるのには違和感があった。しかしよく考えてみると、あれはああいう画を撮りたかったんだろうと納得。廊下で医者や看護師と話している枚竹をロングショットで撮って話の内容は観客に知らせず、ひとり取り残される枚竹とその反応だけを見せる。たしかにあのシーンは印象的で、面談室やスタッフステーションではあのようにはできなかっただろう。

舞台は北京と思われるが、いかにも北京というような風景は登場しない。繰り返し挿入される、高架の線路の向こうに高層ビルが並ぶ風景が印象的だが、この景色に象徴されるような無機質な都会が舞台であり、主人公はそこで独立した個人として生きる中流階級の男女である。両親、親族などの大家族的な人間関係、職場の集団的人間関係、近隣のコミュニティ等はいずれも登場しない。そういった余計なしがらみは排除したところで、生命の重さと、モラルと、4人の人間関係という比較的シンプルな構成で描いているのがポイントである。

習慣性流産を繰り返している枚竹がちゃんと妊娠して無事に生まれて、その子の血液型が一致して臍帯血移植が成功する確率は、ほとんど奇跡に近いほど低いように思われる。しかし、助けてもらうべき禾禾にとっては結果がすべてだけれど、4人にとっては結果はそれほど重要ではない。病気や命と向き合うこと、夫婦がしっかり向き合って相手を思いやること、そういったプロセスこそが重要なのだと、映画が終わるときに気づく(こういうマネージメント用語は使いたくないが)。そういう意味では、描かれているものは『重慶ブルース』と似ている。

狭義のテーマに関しては、実はそれほど関心がない。正直そこまでして子供を助けたいかなと思ったが、子供のいる人は、実際にこのような選択をするかどうかはともかく、気持ちだけはわかるのだろう。でもこのような手段がモラルに反するとは思わない。実は多くの子供は、家や親の血を継ぐため、親の楽しみのため、老後のためといった、親の勝手な都合のために作られているし、そうやって子供をつくっている夫婦に必ずしも愛情があるわけではない。性的な面に関しても、片方がセックスワーカーカップルもたくさんいるわけだし、目的が明確ならそれはそれで割り切ればいいと思う。老謝が気の毒と思う人もいるだろうが、わたしは血のつながりには興味がないので、枚竹が無事に子供を産めたら、生物学的な父親がだれであれ、すごくラッキーな授かり物ではないかと思った。

主役の4人はけっこう地味だけれど、チョイ役は、秦昊(チン・ハオ)に田原(ティエン・ユアンティエン・ユエン*)に高圓圓(カオ・ユアンユアン/ガオ・ユエンユエン*)と超豪華だったことが特筆事項。

映画祭とはいえ、去年思いがけのう2本も上映された王小帥作品、今年も観られるとは思わなかった。『上海ドリーム(青紅)』(これ、邦題がついているけれどどこかで上映されたの?)もお願いします。それに『ザ・デイズ(冬春的日子)』がもう一度観たい。