バンガロールに来ちゃったの

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『恋するふたり(米尼)』(金琛(陳苗))[C2006-44]

朝から横浜へ。ムービルで開催中の「中国映画祭2007」(公式)で、『恋するふたり』を観る。本当は東京フィルメックスで『シークレット・サンシャイン』が観たかったが、三連休ずっと映画も疲れるのでやめにした(配給が決まっているので)。ところが、やめると決めてからこの映画祭の情報が入った。李心潔(アンジェリカ・リー/リー・シンジエ)と劉菀(リウ・イエ)主演だし、横浜で近いし、午前中だし、まあ行ってもいいか、ということでチケットを買った(フィルメックスより発売が先だった)。

そういうわけなので、内容についてはほとんど前知識なく観たのだが、なんだか引き込まれるところがないままに終わってしまった。原作ものにありがちだが、ストーリーを前に進めるためのシーンばかりで、ほとんどダイジェスト版になってしまっている。

李心潔は上海雑技団の空中ダンサー。仕事がうまくいっているときは、堅実でしっかり自分をもっていたが、怪我をして退団させられると、ろくでもない男にすがり結婚を夢見るようになる。劉菀は小さなDVD店を経営しているが、いつかデカいことをやるとか金持ちになるとか言って博打や犯罪に手を染め、転落する。『世界』[C2004-34]の趙濤(チャオ・タオ)みたいな女と、『父子』[C2006-14]の郭富城(アーロン・クォック)みたいな男。どちらも世界中に掃いて棄てるほどいる。これが上海という、世界中からお金が集まり、世界中からちやほやされ、何でもできる気になる都市を舞台に描かれている。材料は揃っているのに、上海だからこそというリアリティも伝わってこないし、世界中のどこでも同じであるという普遍性も獲得されていない。だけど腐っても李心潔と劉菀だから、それなりに印象には残る。

この映画の上海は、新しいキラキラしたところはそれほど出てこず、かといってノスタルジックな上海でもなく、ふつうの街という感じだった。格別印象に残る景色もないが、寒い朝のピリッとした空気みたいな感じがちょっと印象に残る。

李心潔は『ドラマー』[C2007-15]、『最後の木こりたち』[C2007-18]に続いての登場だが、『Exiled 放・逐』[C2006-41]とやはり『ドラマー』に続いて張耀揚(ロイ・チョン)もご出演。こう毎日のように張耀揚を見るなんて、まるでわたしが香港映画をいっぱい観ていた90年代半ばのよう。当時は、たくさん観ているなかの下のほうのレベルの作品にはだいたい張耀揚が、とことんヤな奴の役で出ていたような気がする。しかし最近は香港でも台湾でも中国でもご活躍のようで、しかも悪者なんだけどなんかいい人みたいな役が多い。

ふたりが初めて会ったとき、劉菀が李心潔にDVDをプレゼントする。それが何かというのは映画の評価に大きく影響するが、これは架空の日本のアニメという最低の選択だった。それに、上海雑技団が舞台なのに、パンダが出てこなかったのは噴飯ものである。サービスでちょっとだけでも出してくれるべきでしょう。特に国外での配給のためには、生死を分けるポイントだと思うのだが。

監督には、『鳳凰 わが愛』(あのダサダサなチラシを見たら絶対行く気がしない)の金琛(ジヌ・チェヌ)がクレジットされているが、実際はほとんど陳苗という人が撮っていて、いろいろ揉めた作品のようだ。ところでこの「ジヌ・チェヌ」という表記が物議をかもしているが、‘N’と‘NG’を書き分けようという野心によるものだとしたら、その点は支持してもいい。ただしそれなら‘N’は「ン」で‘NG’が「ング」のほうがまだわかりやすいだろう。と言いつつ、(北京語ではないが)「ジミー・ウォング」という表記を見ると「きーっ」という気分になるのだが。カタカナ⇔拼音(ピンイン)一対一対応が普及したら絶対便利なのですごく興味がある。‘N’と‘NG’のほかに、母音では一部の‘I’と‘U’、それに‘E’の扱いが難しそうだ。『海を渡った日本語 - 植民地の「国語」の時間』[B219]によれば、満洲国では「満洲カナ」という満語(中国語)の表音表記が検討されていたらしい。これがなかなか興味深いのだが、たとえば‘這幾天天気很冷’は、「ヂオー ヂイー テイアヌ テイアヌ チイー ヘヌ ロン」となるそうだ(p. 185)。これも‘N’=「ヌ」である。