今日の三本目、東京フィルメックス九本目の映画は、賈樟柯(ジャ・ジャンクー)監督の『東(Dong)』。画家、劉小東(リュウ・シャオドン)を描いたドキュメンタリーである。劉小東は、王小帥(ワン・シャオシュアイ)監督の『ザ・デイズ(冬春的日子)』[C1993-64]に主演していた人。天安門事件後の閉塞的な空気のなかで、やがて精神のバランスを崩してしまう美術教師を演じていた。そのためこの映画は、「その後彼は病を克服し、今は画家としてこんなに立派に活躍しています」というストーリーに見えてしまう。もちろん違うけれど。
舞台は、前半が三峡で、後半がバンコク。劉小東は、三峡では解体労働者たちの、バンコクでは娼婦たちの、いずれもかなり巨大な群像画を描く。劉小東が絵を描いているところをメインに、時おり彼のインタビューが挿入されている。しかしそれだけではない。カメラは次第に絵から離れ、モデルたちの生活の中に入っていく。そこがこの映画の魅力である。三峡では、劉小東が事故死した労働者の家族を訪ねるのに伴って、遺族たちを映し出す。バンコクでは、娼婦のひとりが故郷での洪水を知って帰省しようとするところを追う。三峡のシーンでは劉小東自身が遺族を訪ねるので、まだ劉小東を描いているといえるが、バンコクのシーンではカメラは劉小東を離れ、彼を置いてきぼりにして終わってしまう。劉小東を描くドキュメンタリーとしてみると、構成は破綻しており、劉小東の魅力が描かれているともいえない。しかしながら、全体としては破綻しているところが魅力で、魅力的なショットの多くは劉小東とは関係がない。劉小東といい、馬可といい、名目上の主役はほとんどダシに使われるだけのようで、よほど人間が大きくないと賈樟柯のドキュメンタリーには出られない。「オレを撮ってよ、オレ、オレ」みたいな人はダメである。
三峡の部分からこの後『長江哀歌』[C2006-21]が派生していくことになるのだが、カメラが人々を生き生きと映し出すところにその萌芽のようなものが見られる。驚いたのは最初からしっかり韓三明(ハン・サンミン)がいたことだ。賈樟柯のドキュメンタリーに演出があり、フィクションとドキュメンタリーの境界があいまいであることは、賈樟柯自身『無用』のQ&Aで認めていたが、最初から韓三明を連れて行ったのだとしたら、その意図などを聞いてみたいところである。
この映画で惹かれたのは、すでに『長江哀歌』で堪能した三峡よりも、どちらかというとバンコクだ。タイ映画はそれほど観ていないし、現代のバンコクの街の映像というのはほとんど観た記憶がない。この映画では、広い通りは台北のようで、夜の繁華街は香港のようだった。とにかく、「暑い賈樟柯」自体、初めてである。駅へ向かう娼婦を追っていくときの、夜の街や駅の構内の蒸し暑そうな感じが、やけに印象的だった。