実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『四川のうた(二十四城記)』(賈樟柯)[C2008-23]

レッドクリフ Part II - 未来への最終決戦』のあと、もう満席かもしれないとあせりつつ、ユーロスペースへ急ぐ。が、16:00の回の整理券は3番と4番。がっかり。昼ごはんや買い物をすませ、賈樟柯(ジャ・ジャンクー)監督の『四川のうた』(公式)を観る。去年のフィルメックスのプログラムに入っていなくてがっかりした映画だが、そのぶん早い日本公開となった。

上映前に『九月に降る風』[C2008-06]の予告篇が流れる。先日この映画のDVDを観て、PCで画像をキャプチャーしながら観ていたにもかかわらず、涙ちょちょぎれそうになったので、スクリーンで観るとまた胸がいっぱいになる。しかしこの予告篇、内容が全然わからないし、日本語のナレーションがついているのがイヤだ。

四川のうた』は、四川省成都にある売却された巨大国営工場、420工場をめぐるドキュドラマというかニセドキュメンタリー。この工場の元労働者およびこの工場内で育った労働者の子供たち計7人へのインタビューが中心になっているが、そのうちの3人が本物のインタビューで、あとの4人は俳優によって演じられている。

本物のインタビューと俳優による演技の違いは、それほど気にならないといえば気にならないが、はっきりわかるといえばわかる。いっそのこと全部演技にしたほうがよかったのではないかとも思う。呂麗萍(リュイ・リーピン)、陳冲(ジョアン・チェン)、趙濤(チャオ・タオ)という3人の有名女優のパートは、3人とも話しているうちに泣き出してしまうあたり、やはり演技ならではである。個人的には、唯一の男優の陳建斌(チェン・ジェンビン)パートがいちばんよかった。けっこうドラマティックな内容だけど、ほどよく簡潔で、「こういう人いるよね」という感じのリアルさにあふれている。

彼ら/彼女らの語りから見えてくるのは、彼らの人生であり、この工場の歴史であり、新中国の現代史でもある。ひとりひとりの話のなかから見えてくる歴史に加え、世代の異なるインタビュイーたちの語る内容や意識の違いから見えてくる時代の変化も興味深い。

お店も学校もあり、一歩も外に出ることなく暮らしていける巨大国営工場。しかも、軍隊と同様の使命感を負わされる軍需工場。異国の変わったものを覗き見ているつもりでいると、実はそこに見えているのはわたしたちと同じ普遍的な人生である。恋愛、結婚、老い、親子関係。そして何より、映画やテレビドラマや流行歌によって彩られた日常。

中国の現代史というと、よく言及されるのは文化大革命、改革開放、天安門事件だけれど、この映画ではそれらとはちょっと違ったものが取り上げられていて、そのひとつひとつも興味深かった。周恩来が亡くなった日の記憶とか、蒋介石の大陸反攻の噂、戦争がなくなって軍需工場が不景気になったこと、戦争中に重慶へ行っていた人が、それを誇るために上海で四川料理を広めたこと。おそらく、実際のインタビューのなかで拾ったと思われるこういったエピソードが、フィクション部分の語りに実に巧みに織り込まれている。

ドキュメンタリーを作ろうとしていて途中でフィクションになったということだが、こういう映画を観ると、賈樟柯のドキュメンタリーはフィクションのための習作だなあと思う。ドキュメンタリーといわれているものでも、本当にドキュメンタリーかといわれるとその境界はかなり怪しくて、ドキュメンタリーだ、フィクションだと区別すること自体、あまり意味がないのかもしれない。でもやはり、賈樟柯はドキュメンタリーよりフィクションのほうがおもしろく、最近のフィクションにはいつも、彼がその前に撮っていたドキュメンタリーから得られたものが貪欲に詰め込まれているように感じられる。

インタビューもいいが、その間に挿入される420工場の風景がすばらしい。繰り返し映し出される、工場の門の俯瞰のショット。労働者が頻繁に出入りする工場の風景から、やがて人の流れが絶え、そして看板が架け替えられる。工場の中も同様に、現役の工場から稼動していない工場へ、そして廃墟へと変わっていく。なかでも、設備が取り去られた工場や、机などが運び去られた教室といった、がらんとした空間がすばらしい。過去の記憶を含めた場の空気、もっといえば場の魂のようなものまでが捉えられている。

言及される映画は『戦場の花(小花)』、テレビドラマは『赤い疑惑』。流れる歌は、工場の歌や越劇の歌に、『赤い疑惑』の主題歌『ありがとう あなた』、『狼 - 男たちの挽歌 最終章』[C1989-32]の挿入歌・葉蒨文(サリー・イップ)の“淺醉一生”、齊秦(チー・チン)の“外面的世界”。さらに、中国の古典やイェイツの引用が画面に重なる。『ありがとう あなた』は山口百恵版ではなく、かなり怪しい日本語の「なんちゃって百恵ちゃん」だった。挿入歌以外の音楽は半野喜弘と林強(リン・チャン)がやっていて、実にわかりやすく「これは半野喜弘」「これは林強」という音楽がついていたので笑ってしまった。サントラは半野喜弘の曲しか入っていないけれど、ちゃんと挿入歌まで入れたCDを出してほしいものだ。これまでの賈樟柯映画で使われた曲や歌われた曲の元歌を入れたCDが出ればいいのに。

パンダにも言及しなければならない。まず、趙濤が白いフォルクスワーゲンニュービートルに福娃の晶晶のマスコットをつけていたので、この映画はめでたくパンダ映画と認定されました。それだけではなく、「パンダテレビタワー」なるものも登場したが、検索したかぎりでは、これは“四川電視塔”という名前であり、ワケがわからない。それから、陳建斌のパートで工場内には何もかもがあったと言っていたけれど、ひとつだけないものがあると思う。パンダである。パンダを見たいときは、工場を出て動物園に行かなければならないだろう。しかし、軍需工場でもあり、住人用のサイダーまで作っていたというからには、パンダの一匹くらい飼っていてもいいように思う。成都なら何かあってもすぐに専門家に来てもらえるし、自家用パンダがいるとなれば、労働者やその家族にとってはまたとない誇りとなるだろう。

工場などの跡地が再開発されて、商業施設や高層マンションが建つのは、あちこちで腐るほどある、あまりうれしくない話である。しかし、ここに建つマンションが、古典からとった“二十四城”という風流な名前だったり、工場の煉瓦造りの建物が一部保存されていたりするのは、ちょっと悪くないと思った。