実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『長江哀歌(三峽好人)』(賈樟柯)[C2006-21]

仕事でハマっている状態は続いているが、今日はぜったい映画と決めて、朝からシャンテシネへ。3週間ぶりの映画は賈樟柯(ジャ・ジャンクー)監督の『長江哀歌(エレジー)』(公式/映画生活/goo映画)。去年の東京フィルメックスで原題の『三峽好人』のタイトルで観て以来、二度目の鑑賞である。

今回最大の発見は、趙濤(チャオ・タオ)が夫のロッカーを開けると、そこにお茶や時計や細々とした身の回りの物に紛れて、パンダのついたマグカップ(のようなもの)が置かれていたことだ。前回も、「パンダかな?」と思ったもののよく確認できなかったような記憶が微かにあるが、今回はこの短くないショットでずっとそこを睨んで確認したから確かである。山西から重慶にやってきてパンダ柄のマグを買うというのは、わりとありそうなことだ。ともあれ、『世界』[C2004-34]に続いて賈樟柯映画がふたたび栄えあるパンダ映画の列に並ぶことを、世界10億人(推定)のパンダ好きとともに喜びたい。

『長江哀歌』を観ての感想は、前回書いたもの(id:xiaogang:20061117#p1)と基本的には変わっていない。この映画に切実さや痛みが感じられないというのは、二回観てもやはり同じだった。これは前回も書いたように、賈樟柯が内容を深めることよりも刻一刻と変化する三峡の街や人々を撮るのを最優先にしたからであろうことは、特に強調したい点である。一方で、この映画ではこれまでの賈樟柯映画を特徴づけていた閉塞感が感じられないことが、別の理由として挙げられる。たとえ彼らが同じ場所に留まろうとも、あるいは元の場所に戻ろうとも、旅立っていく先にあてがなくても、長江がずっと変わらずに流れていくように、その行く手は開かれていて、そこに閉塞感はない。それは彼らがみずから選び取っていくものであるからだろう。希望がない状況をそのまま投げ出すのではなく、ささやかであっても希望へと繋がるものを模索する姿勢は、もしかしたら賈樟柯の成熟を表すものであるかもしれない。そうであれば、この映画はただの寄り道ではなく、賈樟柯の変化の途中であるのかもしれない。

ほかに、今回気づいたこと、あらためて思ったことなどを並べてみる。

  • 趙濤は、『世界』では多少トウが立ちかけてはいるものの、まだまだキャピキャピしていて、シミのない顔に乾杯したりしていたのに、今度は既婚の、少し生活に疲れた気味のおばさんになっていて、そのギャップにあらためて驚く。今回はすっぴんぽいので、シミがあるかどうかチェックするのが課題のひとつだったが、あるという証拠はつかめなかった。
  • この映画を観て、「中国ではとんでもないことが行われていて、悲惨でどこにも救いがなくて…」といったような感想を時々見かけるが、そのように大上段にみてしまっては、ここで描かれているささやかな個人の営みを見のがしてしまうことになるだろう。しかし、いきなりこの映画を観ると、やはりそこで行われている破壊の大きさに、目を奪われないわけにはいかないかもしれない。そういう意味で、破壊のすさまじさや人々のしたたかさや、感傷とは無縁の世界を『水没の前に』(李一凡、鄢雨)[C2004-43]で観ていたことは、それらをまずは前提にして観ることができたという意味でよかったと思う(そうでなくても『水没の前に』は必見の映画である)。
  • 初めて観たときは、やはり趙濤の夫探しと韓三明(ハン・サンミン)の元妻探しがどこで交わるのかと思いながら観てしまったが、彼らは間接的にしか接点をもたない。あらためて観ると、ふたりは異なるクラスの人間として設定されており、そのために奉節でも、基本的には異なるクラスの人々と交わる。彼らは奉節の様々な階層の人を登場させるために設定されているのであり、だからそもそも交わらないのだ。
  • ラスト直前の韓三明の送別のシーンで、「山西に働きに行こう」と息巻いていた労働者たちが、非合法炭坑の危険性を知って、みんなしゅんとしてしまうところがいいと思った。気まずい雰囲気になって、でも誰もフォローしなくて、その気まずさがとてもリアルで印象的。表面的な口当たりのよい別れで終わらせないのがいい。
  • 今回「いいな」と思った風景は、奉節の町のたたずまいである。雨に濡れた何気ない街路の様子を見ていたら、なんとなく高雄の旗津の雨の風景などが思い出された。そうすると、雨に煙る山もなにやら基隆山を連想させたりして、突然三峡の景色に強い臨場感をおぼえた。
  • 暑い季節の設定であり、上半身裸の労働者が、廃墟で働いたり狭い木賃宿でうごめいたりしているのに、ムンムンした臭気といったものが感じられない。彼らのたたずまいにも、家や宿の中の様子にも、妙に清潔感のようなものが漂っているのが気になった。映像は、一見ディジタルとは思えないほどきれいだが、やはりこういうところはディジタルのせいなのだろうか。
  • 廃墟のビルから景色を眺めるシーンが『風櫃の少年』[C1983-33]を連想させる。これは前回も感じたが、そういうシーンが三回くらいもあったので驚いた。
  • 今度中国へ行ったら、お土産はウサギ印の飴で決まりだな、と思う。
  • 『長江哀歌(エレジー)』という邦題には、やはり違和感をおぼえる。長江はとても長いのだから、場所によって雰囲気もずいぶん違うはずであり、三峡しか描いていないのに長江とつけるのは納得できない。「エレジー」とつけたのは、歌がこの映画のポイントのひとつだからかもしれないが、どうしても「エレジー」を入れたいのなら、『浪華悲歌』[C1936-04]を連想させる「悲歌」の表記のほうがいいのではないか(未見だが『沙河悲歌』という台湾映画もありますね)。「哀歌」をみて「女工哀史」しか連想できないのは、私の発想が貧困なせいだろうか。
  • ジャ・ジャンクーもジャジャンボも知らない中高年で連日満員であるが、上映中は鼾が聞こえ、みな呆然として出てくる」といったことがあちこちに書かれている。たしかに客層は、「あたし、いちばん若いかも」という感じだった。中高年が多いのはわりと日常茶飯事だが、フィルムセンターとも、いつもの中華系おばさんとも、韓流おばさんともかなり異質である。賈樟柯どころか『男たちの挽歌[C1986-53]も周潤發(チョウ・ユンファ)も知らなそうで、小馬哥の登場シーンでクスクス笑ったりにやにやしたりしているのは私たちだけ。三峡ダムに対する問題意識をもっているようでもなく、彼らがこの映画を観にきた動機は、三峡下りの思い出なのか、『三国志』や李白なのか、なんなのかよくわからないが、邦題の「長江」も少なからず効果を上げているように思われる。

劇中、王宏偉が「本場の四川料理にする」と言って料理をしているのに、作ったものが出てこないのが不満で、お昼は四川料理が食べたいと思うが、適当なところが思いつかない。船の中で労働者たちが食べていたうどんがおいしそうだったのと(J先生はまずそうと言っていたけれど)、四川がだめなら山西だということで、刀削麺の店に行く。ところがここは『西安』という名前で、西安料理の店だった。