実録 亞細亞とキネマと旅鴉

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『オフサイド・ガールズ(Offside)』(Jafar Panahi)[C2006-35]

次の映画は、ジャファル・パナヒ(Jafar Panahi)監督の『オフサイド・ガールズ』(公式/映画生活/goo映画)。こちらも去年の東京フィルメックスで上映されたが観そびれた、というか夜だったので観なかったもの。劇場も同じシャンテシネ。同じ映画館でまとめて観るのは効率がいいが、全く同じ予告篇を見せられるのには閉口する。たいていの劇場は少しずつ変えてあるのに、シャンテは寸分違わず同じ。しかも観たいと思うような映画がない。

オフサイド・ガールズ』は、女性が男性の競技をスタジアムで観戦できないというイランで、男装してサッカーを観に行く女の子たちを描いた映画。この映画の背景に、女性差別的なイスラムの戒律や、そういったものを厳格に適用するイスラム原理主義的な政治に対する批判があるのは明らかである。私ももちろんその批判には賛成だ。しかしこの映画も、そんなふうに大上段に構えて観るよりも、描かれているものを素直に観たほうが楽しめる。

この映画の最もすばらしいところは、ワールドカップアジア最終予選のイラン対バーレーン戦が、まさに行われているそのさなかに、そのスタジアムで撮影されていることである。イランはこの試合に勝ってワールドカップ出場を決めるのだが、もちろん撮るまえにはそんなことはわからない。だから、結果に応じていくつかの脚本が用意されていたと思うし、実際の試合の進行に従って臨機応変に台詞や内容を変えていく必要があったと思う。それがいい意味での緊張感になって、ドキュメンタリータッチというか、セミ・ドキュメンタリーというか、やり直しのきかない一回性のところがよい結果を生んでいる。イランが勝つという試合結果も含め、運も味方した、祝福された映画といえるかもしれない。

物語の大部分は、スタジアムに入ろうとして捕まった女の子たちと、彼女たちを監視する警備の兵士たちとのやりとりである。兵士たちは女の子たちと同じ年ごろの青年で、彼らも女の子と自由に出歩いたりできないことに不満をもっているようだ。しかし彼らは、おそらく兵役中の兵士なので、任務をつつがなくこなして無事に除隊したい。女の子たちに同情はしても、面倒には巻き込まれたくない。そこで彼らの会話は果てしなく堂々めぐりのウダウダした議論になる。久しぶりにみるイラン映画的な展開が嬉しい。

前半のクライマックスは、女の子のひとりがトイレに行くところだ。こういう状況で、トイレにいきたい人が出てくるというのはすごくリアルだし、個人的にはすごく感情移入する状況設定である(私は映画を観ていて、「どうしてここでトイレに行かないのか?」とか「どうしてトイレにいきたくならないのか?」とかしょっちゅう考えている)。スタジアムには男子トイレしかないので、「ハーフタイムになるとみんなが行くから今のうちに行かせろ」とか言うのだが、そういうことを考えるところもものすごくリアル。出てきた男子トイレは全部個室っぽかったが、イランの男子トイレってそうなのだろうか。個室だから男がいても構わないはずなのに、兵士が男性を締め出したりするものだから、暴動が起こってしまうのも楽しい。

後半は女の子たちが分隊に護送されるバスの中に舞台が移り、『有りがたうさん』モードになる。兵士たち、特に、サッカーにもテヘランの女性にもあまり興味がないらしいリーダー格の兵士が、すっかり女の子たちのドレイになっているのが楽しい。そんななかでイランの勝利が決まるが、このあたりの街の様子などはほとんどドキュメンタリーだと思われる。兵士にも女の子にも邪険にされていた男の子の逮捕者が、ここで大活躍するのも楽しい。

ただひとつこの映画で気になったのは、みんながイランを応援していることである。ナショナリズム同様、スポーツ・ナショナリズムも嫌いな私としては、みんなが国旗を振ったりしているだけでかなり引いてしまう。仮にイランに行ったときにこういう出来事があったら、みんなと一緒にイランを応援したり祝福したりするのは平気だが、もしこれが日本だったら、と考えるとぞっとする。ワールドカップ出場を決めたり、ワールドカップで勝ったりするたびにこんな事態になったら、恐ろしくて当分家から出られないだろう。日本ではこれ以上サッカー人気が盛り上がらないでほしいと願ってやまない。